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風土を楽しむ

石川駒踊りと奴踊り

画像:石川駒踊りと奴踊り

 
 石川地域で古くから伝わる石川駒踊りと奴踊りは、400年の歴史を誇る八峰町の無形民俗文化財です。石川「駒踊り」は、慶長7年(1602年)に、佐竹義宣が常陸(現在の茨城県)から出羽(現在の秋田県)の国へ領地の国替えとなり、北陸道を通り、出羽の国へ入るまでの道中で主君の旅情を慰めるために家臣たちが演じたことが、始まりとされています。
 
 駒は6~10頭の編成になっており、それぞれの駒は、鎧、鉢巻で身を包み、腰に木製の馬体をつけ、前に駒首、後ろに駒の尾をつけ、馬首についた綱を両手にして馬にまたがったように見せます。石川駒踊りの構成は、駒踊り手、太鼓打ち手、横笛吹きなどで構成されており、種目数は9種からなり、「ぶっこみ」で登場し、陣地を決めます。戦国武将が合戦する場面を表し、戦の始まりから勝敗までを、息をつかせぬほどの早さで踊ります。
 
 駒踊りは、戦前、戦中、戦後と「存続若衆」などの男子によって伝承されてきましたが、昭和38年(1963年)4月15日に石川を襲った大火により、江戸時代から受け継がれてきた駒踊りの衣装や、記録文書などを失ってしまいました。
 
 しかし、翌年の39年(1964年)、「石川駒踊り愛護会(現在の石川郷土芸能保存会)」が結成され、38人の会員が駒踊り復活のために力を尽くし、駒や太鼓などを揃え、昭和41年(1966年)の9月21日に、大火後初の駒踊りを披露しました。その当時の演じ手は、平均年齢50歳で、出稼ぎの為に練習の時間が無く、厳しい状況にありましたが、育児の手を離れた主婦や、子供たちがあとを継ぎ、地域の3人の青年が技術習得に本腰を入れて新たなリーダーとなりました。
 
 また、石川「奴踊り」は駒踊りの前に踊られ、駒の露払いとも言われています。また大名行列を表していると言う説もあります。古くから各地域で盛んに踊られており、石川駒踊りと並び、石川地域に無くてはならない伝統となっています。構成は、踊り手、横笛吹き、太鼓打ちからなり、「棒奴」で陣地を決めてから始めるのが正式です。
 
 現在では、小学校の正課クラブにも採用され、後継者の育成にも力がそそがれており、毎年8月13日のお盆には、お寺や神社で五穀豊穣、家内安全、無病息災、先祖供養を願って踊りを奉納し、八峰町文化祭や各種イベントでも踊りが披露されています。演目や踊り方は地域ごとで違いがあり、同じ奴踊りでもそれぞれに個性があるそうです。石川地域の駒踊りと奴踊りは、地元の方々の強い気持ちと絆により、今も変わらず地域の大切な伝統として受け継がれています。
 
 
2011年4月掲載

■参考文献 『峰浜村史』平成7年10月31日発行 

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