5月30日(火)、秋田市鵜養地域を訪問しました!
秋田市河辺を流れる岩見川の源流、大又川と小又川に囲まれるように集落を形成している鵜養地域は、
「水」という、人が生きていくために不可欠な資源が豊富です。それが住民たちの自慢でもあります。
この日、横浜市からいらしたお客様とともに、鵜養町内会長、石塚さんの案内のもと、鵜養地域の水源や水門、水路をたどる散策をしました(^^♪
会長と、お客様との待合せは「河辺へそ公園」。写真は公園の丘の上から眺めた鵜養集落です。四方を山に囲まれているのが、よくわかります。
集落内には石積みの見事な堰(せき)が張り巡らされており、地域を流れる大又川の上流付近で取水された清流は、農業用水や生活用水に利用されています。
鵜養を流れる豊富な水量を誇る堰は、はるか昔から今にいたるまで、住民の努力による「せきぶし(堰普請)」と呼ばれる堰の清掃作業で、守られてきました。
水源探索の前に、田植えの最中の田んぼに立ち寄りました。
鵜養地域では、有志で構成されるグループ「酒米の郷」の方々が、地域の豊かで綺麗な水を利用して、
平成29(2017)年から無農薬栽培の酒米づくりに取り組んでいます。この日は、田植えもほぼ終盤を迎え、最後の追い込みに入っていました!石塚会長も激励の言葉をかけていましたよ♪
まずは、大又川上流にきました。この日は穏やかな気候で、川の水の流れも静かでした。
ここに、集落内の全ての用水路の源である水門(頭首工)がありました!ここで集落に運ばれる水量を調節するのだそうです。これらの施設を毎日管理する方は、堰守(せきもり)と言われ、住民が担っていますが、たった一人で管理されているそう!この日も、見回りにきた堰守の方と遭遇しましたが、自信と誇りのようなものを感じてきました。^^
この付近には、その昔、水力発電所があったそうです。近辺に栄えていた荒川鉱山に、その発電所から電力を供給していましたが、鉱山の閉山とともに、閉鎖されたとか。「水」が豊富であることがうかがえる歴史ですね。
続いて少し下流に移動しました。
ここには「舟作」と呼ばれる滝があります。大又川の広い流れが一気に圧縮され、狭い溝穴に吸い込まれるように水が落ちていきます。
こちらにも水門があり、川と平行するように用水路が流れていました。大又川上流の水門で調整されて放出される水がここを通り、集落まで流れていくのですね。
水の透明度は抜群です♪
水路の探索を一通り終え、町内の会館にて会長や他住民と懇談を行いましたよ。
実は横浜からのお客様は、約30年前に鵜養地域で行われていた「池田塾」にとても興味を持たれ、現在の自身のテーマ「日本の原風景を知る」という観点で訪問されました。
当時の「池田塾」のことを知る住民の方から、色々とお話を聞かれていました。
※「池田塾」→平成8~9(1996~1997)年に建築家、故池田武邦氏が、「自然と人間が共生して生きていくためには、どうしたらよいのか」を探ろうと、鵜養住民と一緒に、生活環境調査やワークショップを行ったりして、地元独自の生活文化を作りあげようとしていた。
懇談と昼食を終えたあと、地域内に鎮座する岩見神社に向かいました。
長い参道を通り、岩見神社を参詣!
伝承では創立は、大同2年(807年)と言われています。
拝殿の四隅では、それぞれ表情や体勢が違う力士像が屋根を支えていました♪
神社をあとにして、最後に地域の景勝地を見て回りました。^^
●殿渕(とのぶち)
●伏伸(ふのし)の滝
新緑、真っ盛りの景観で、マイナスイオンを沢山、浴びてきましたよ(^^♪
山に囲まれ、水が豊富な鵜養地域!
資源は豊富ですが、高齢化、人口減少という課題にも直面しています。
それでも、ここに住む方々は、ここの自然に愛着をもち、地域存続に向けて模索を続けています。
横浜のお客様は、「この豊富な水量は、まさに山の恩恵を受けているから。この水の力を電力に結びつけることができたらいいよね。水車を利用して水力発電をおこし、集落内の全ての電力になるのが理想だなあ♪」と、明るい未来に向けての案を語ってくださいました。
地域住民の方々の努力があっての、景観維持と水害対策に脱帽してきた一日となりました。
今後も、堰を守り続けていく住民の皆様の、ご健勝をお祈りいたします。
以上、秋田市鵜養地域からお届けしました!
おまけ(^^♪
会長夫人手作りの昼食をいただいてきました♪
寒天は、県南の文化と思っていましたが、おもてなしには、やはり作られるようです。
とても美味しかったです。 ご馳走さまでした(^^)