小坂町・鴇集落で6月16日に行われた「道はらい」。
地域の「大切な道路」の維持管理のため、行われています。
今回は集落の「自慢の水道」への道路です。
簡単に、鴇の水道の歴史を貴重な資料と共にご紹介します。
小坂町では町内中心部に早くから鉱山の水道が引かれ、共用栓が各地域に引かれていました。
しかし、鴇集落は台地上にあるため、水の確保が難しく、生活用水と農業用水の確保が急務でした。
開村以来、鴇集落は井戸二カ所のみで水を確保していましたが、
生活用水としても不便ですし、水を大量に使う農業は大変です。
詳しい時期は不明ですが明治年間には土堰にて数年ほど水を引いた記録があります。
また、地元の方のお話では、木の樋を使った水道が引かれたこともあったそうです。
しかし、それでは不十分であり、戦後数年たった昭和23~24年(1948~1949年)には、
水道管にするため、わざわざ九州から丈夫な竹を取り寄せて本格的な水道管工事が行われました。
3ヶ月あまりで、総工程1266間(約2.3km)の長大な竹管の水道が完成しました。
水源とかなりの高度差があるため、途中には圧力を逃すための「桝(ます)」が設けられた本格的な物でした。
しかし、竹は数年で老朽化、草木の根っ子が竹の水道管を痛めていきました。
そのため昭和29年(1954年)には、
町が一日あたり約50tの水(計画供給人口325人)を供給できる簡易上水道(鴇水道)を整備し、
やっと安定した水の確保が可能になったのです。
(『鴇水道工事記録』『鴇水道工事區間概要圖』『小坂町史』より)
鴇水道は、町で一番初めに行われた近代的な簡易水道になり、県内でもかなりの早さだったようです。
昔から水に苦労してきた鴇集落にとって、まさに悲願の水道でした。
現在、町の水道は高寺山から配水されていますが、
鴇水道は、管理を集落に移して、今も飲用以外の水利に活用されています。
その水道を守っているのが、水道管の通る道を刈り払いする「道はらい」です。
午後5時、皆さん軽トラに乗って出発です!
……すんごい藪! これを刈り払っていきます。
途中、何人かが止まってここから水タンクまでを刈り払いながら登ります。
水道タンクにつきました。塩素を入れる消毒施設もありますが、
今は稼働しておらず、雑用水として使われています。
しかし、タンクをはじめとした他の施設は順調に稼働しています。
水源地はここから上流にいったところですが、現在2地点からの取水を行い
安定した水量を確保しています。
今回は片方の水源地まで同行取材です。
林の中を進んでいくと……。
水道管が見えました! この管がずーっと地下を通って先ほどのタンクまで続いています。
ちなみに、谷になっている部分は「逆サイフォン」と呼ばれる技術で水を通しています。
水がいったん谷底を通り、再び山肌に戻っていく……。不思議な感じがします。
水が流れ、いよいよ水源が近いことを予感させます。
上流部のタンクにつきました! 厳重にふたがしてある場所を、特別に開錠して見せて頂きました。
ここで、谷間から湧き出た清水をタンクにためて、下流のタンクへと送り出すのです。
下流のタンクでは、もう一つの水源地からの水と併せて、鴇集落へと水を送り出します。
さらに、一段下がったタンクに貯めた水は、農業用水として鴇集落へと送られます。
道路もこんなに綺麗になりました! 最初の写真と比べてみてください!
途中、倒木をチェーンソーで切るなど、並大抵の苦労ではありません。
地域の皆さんが刈り払った水道は、今も貴重な水を集落へと送り続けています。