八幡弊を天高く

前編に引き続き、藤里町・米田の「根城豊作相撲」をリポートします!

夕方になってきました 熱戦
熱戦 (2) 熱戦 (1)

15時を過ぎても熱戦が続いています。
腕に書かれたしこ名は消えかかり、肌には土俵の土がついていました。

大関の取り組みを見守る

16時ころ、とうとう結びの一番が始まりました。
土俵に上がった全ての人々が大関戦を見守ります。
ちなみに根城豊作相撲は「横綱」は無く、大関が事実上の最高位となります。

 

結びの一番、東西大関の対戦は真剣そのもの。

 

7分近くの熱戦の末……

行事がストップ!

ここで行司がストップ!

来年に持ち越し

「勝負は来年に持ち越し」と行司が告げます。
勝敗を決しないのが根城豊作相撲の決まりです。
豊作祈願を目的としているので、神様に勝負の行方が気になるようにして「来年もまた見にきてください」と願いを込めているといいます。

土俵に集まる

そして、行司の合図と共に、周囲にいた関取たちが一斉に土俵に上がり、
何かを引っ張りだそうとしています。

米俵が土俵の中から!

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
なんと土俵の中から「俵」が出てきました!

たくさん出てきます 八幡弊を……

引っ張り出した俵を土俵の中央に積み上げ……

 

サンサンサンヨ~ オサカサンノサンヨ~」とかけ声をかけながら、
参加した男性、行司、スタッフが次々に八幡弊を紫色の天幕に突き上げます。

秀男コール

秀男!秀男!」とコールされ、司会の加藤秀男さんも八幡弊を手に持ち土俵の上へ。
26~27歳頃から司会を始めた秀男さん。
昔も今も、下書きや準備をすることは無く、全て「アドリブ」と話します、
みんなに喜んでもらえればいい。昔と比べると子どもが少なく寂しくなってきたけど
地元にいる人間で盛り上げたい。守っていきたいね
」。

根城相撲甚句を詠いながら 佐々木町長も米田の住民

この後は「根城相撲甚句」を唄いながら、男たちが土俵の周囲で踊り始めます。
太鼓を叩いているは米田の住民でもある藤里町・佐々木町長(写真右)。
佐々木町長もこの土俵から出ています。
米田の男は皆、この土俵に上がってきました。

開会式で「団長になってから初めて晴れました。とても嬉しい。
今年も最高の相撲大会にしたい
」と挨拶していたのは根城青年団の加藤団長。

普段は「皆に喜んでもらわなきゃ」と相撲を取っている加藤団長ですが、
今年は身内で不幸があったため、土俵には上がらず裏方にまわりました。
裏方で働いたことにより、競技の様子や観衆など全体じっくり見ることができたそうです。

明治35年から、皆でずっと続けてきたんだろうな」と加藤団長は話します。

根城豊作相撲の土俵づくりは10日ほど前から始めるといいます。
土の提供は地元の建設会社が協力し、俵編みの職人が俵製作を行います。
当日の競技以外にも、見えない部分で地域が相撲を支えています。

DSC02606 相撲の観衆

地域の子供たちも、この日の様子をしっかりその目に焼き付けました。
住民が楽しみにしている根城豊作相撲は米田で、ず~っと続いていって欲しいです。

相撲が終わった後の帰り道の景色です。米田では稲刈りが本格化していました。
今年も豊作になることでしょう。

藤里町・米田から根城豊作相撲のリポートをお送りしました!