5月5日(金)、横手市・戸波地域の戸波神社で祭典が行われ、地域の郷土芸能「ぎおんばやし」と「きつねばやし」が奉納されました!

戸波神社祭典 きつねばやし奉納

戸波地域には「きつねばやし」、「ぎおんばやし」、「草音頭」の3つの郷土芸能が伝わっており、「戸波郷土芸能保存会」によって継承されています。郷土芸能は「横手市増田民俗芸能フェスティバル」や「横手市増田地域文化祭」などで披露しているほか、戸波神社祭典で神前に奉納されています。
戸波神社での奉納は囃子方の不足などからしばらく途絶えていましたが、戸波地域の若者たちでつくる「農友会」が囃子方を継承し、昨年から奉納が行われるようになりました。

農友会の皆さん

●囃子方「農友会」の皆さん

写真の左側、青い半纏を着た男の子は今年12歳になる期待の星! 昨年から囃子方に参加し始めたそうですよ♪

祭典当日、戸波神社にはカラフルな幕が張られ、周囲には住民たちが奉納を見ようと集まっていました。
祭典で奉納されるのは「ぎおんばやし」と「きつねばやし」。
この2つの郷土芸能は元禄年間(1688年~1704年)に加賀国(現石川県)金沢の浪人、対馬監物(つしまけんもつ)によって伝えられたとされています。

まずは「ぎおんばやし」が奉納されます。

ぎおんばやし奉納 後ろ姿

「ぎおんばやし」はお座敷で踊られる座敷舞で、文化8年(1811年)に9代久保田藩主・佐竹義和公が仙北地方を巡検の折り、増田村に宿泊した際に披露し、褒め称えられた……と伝わる踊りです。

ぎおんばやし奉納

ぎおんばやし

若い女性たちが受け継いできた踊りで、赤い振り袖姿で優雅に、そして力強く舞われます。
このような形で踊られる「ぎおんばやし」は、全国的にも珍しい踊りとされています。

次に「きつねばやし」が奉納されます!

たすき掛け  たすき掛け

その前に、「ぎおんばやし」を奉納した皆さんは先輩たちから「たすき掛け」をしてもらい、次の「きつねばやし」に備えます。
「たすき掛け」も日本の美しい伝統の一つですね。

軽快なリズムに合わせ、手には手拭いを持ち、円をつくって踊ります。

きつねばやし奉納

きつねばやし奉納  きつねばやし奉納

まるで、戸波神社だけ昔の時代にタイムスリップしたのではと思うほど、幻想的な時間でした~!

奉納の後、戸波地域をぐるっと巡ってみると……。

カタクリ  菜の花

戸波神社の麓には「カタクリ」、道ばたに菜の花。

桃の花  さくらんぼの花

戸波地域の農家さんが栽培している「桃」や「さくらんぼ」の花々などが咲き、美しい風景が広がっていました!
立夏のこの日、生命の息吹が感じられた1日でした!

戸波地域の風景

以上、花薫る伝統の里、戸波地域から、集落活動コーディネーターがお届けしました!

◎ ピックアップ! ◎
戸波神社を訪ねると、初めて訪ねた方は驚きを見せることでしょう。

戸波地域 仁王様

戸波神社の「仁王様」です。

阿形像  吽形像

山門の中に阿形像(あぎょうぞう)と吽形像(うんぎょうぞう)が収められており、その大きさに思わず圧倒されてしまいます。
仁王様はそれぞれ一本の木を掘って造られたもので、永井舟應という佛師が掘り上げ、佐藤太良兵衛により奉納されたと言います。
その当時、それぞれ裕福であったのですが、仁王様を造るには離婚を覚悟しなければならないほどの資金がかかったのだそうです。
仁王様は慶応4年(1868年)の5月7日に奉納され、その時、山門も一緒に奉納されました。
かつての戸波神社の祭典は、仁王様が奉納された翌日、5月8日に行われていたそうです。
仁王様を奉納した佐藤太良兵衛は戸波地域の草分けであり、その実家は「太良兵衛屋敷」と呼ばれています。
実は、その御屋敷はこのお話を教えてくれた、戸波神社氏子総代の織田さんのお宅なのだそうです!
仁王様もそうですが、戸波地域ができたころの家も残されているなんてすごいですよね~。

仁王様のお腹に掘られた2人の名前

遥か昔、一世一代の覚悟で仁王像を奉納した2人によって、戸波地域は今に繋がっているんですね!