-本堂氏が住んだ堅城-
美郷町黒沢地域の少し南に、東西に細長い小山があります。山の一方の端はみずほの里ロード、もう一方は八幡神社があるこの山域こそ、戦国時代、仙北地域の一部を支配した本堂氏の居城「本堂城」です。後に平地へと移城したため「元本堂城」とも呼ばれています。
城の北側にある上村集落、その中ほどにある説明看板には、城の全体像が描かれ、当時の姿を偲ぶことができます。現地の説明看板によると、鎌倉時代の承久二年(1220年)「蝦夷の砦」を利用して山城を築いたものと伝えられています。その後300年以上にわたって本堂氏の本拠地となりました。
現在の城址は、西側の一部が八幡神社の境内となっていますが、当時の城の造りをよく残しています。。その構造は、本丸を中心に深い空堀で区切られた郭(くるわ)と呼ばれる平地をいくつか東西に並べた形になっています。
今でも本丸にたどり着くまでに、自分の背丈の倍もあるような堀をいくつも越えなければいけません。当然ながら堀の両側は険しい崖になっており、容易に本丸に近寄ることはできません。戦国の世でしたら、険しい崖を這いのぼる間に、弓で射られ、槍で突かれてしまうでしょう。
戦国の守りを今に伝える城跡、見栄えのする石垣も、立派な天守もありませんが、それでも「城」を主張する中世の山城です。
※八幡神社より東側、もちろんみずほの里ロード側からも、城跡は空堀により厳しく通行を阻まれた要塞そのものです。また、植林されている私有地の部分もあり、遊歩道等も全く整備されていませんので、中心部への安易な立ち入りはご遠慮ください。
■参考文献
『千畑町史』
現地説明看板
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