世界文化遺産である法隆寺にある「法隆寺金堂壁画模写」で世に知られる鈴木空如は、明治6年(1873年)、現在の大仙市太田町小神成(こがなり)地域で生まれました。一生を清貧に過ごし清廉潔白な人物として有名で、その生き方と作品の完成度の高さから「画聖」と評されています。 

空如は明治251892)年に上京して、画工・長山蘭林に師事し日本画を習います。日清戦争に従軍後の明治311898)年、念願だった東京美術学校に入学します。山名貫義に師事し、仏教の正しい儀軌(ぎき・ルールのこと)を後世に残すことを生涯の使命と考えるようになります。生涯に渡って5000点を超える作品を残したと言われています。 

空如はふるさと秋田の大仙市内小友の佐藤維一郎や、大曲町長を務めた田口松圃らと親交を持ちます。中でも特に維一郎が良き理解者であり支援者でした。空如の高い筆致や技法、特に代表作「法隆寺金堂壁画模写」は、その完成度の高さに専門家たちを驚嘆させたと言います。現在とは照明技術も異なり劣悪な環境の中、何十回にも渡り法隆寺に足を運び入念に模写し、時代を経た古い色合いや剥落、変色、にじみ方はもちろんのこと、儀軌を理解した表現など、高い審美眼と技法で実にきめ細かに仕上げました。
    
法隆寺金堂は、昭和24(1949)年に起こった火災により、金堂内部の壁画は焼失してしまいます。現在の法隆寺金堂壁画は、昭和42(1967)年に東京芸術大学が中心となり、明治期に櫻井香雲が、大正・昭和期に鈴木空如が模写したものを参考資料として復元したものです。鈴木空如が人生を懸けて制作した模写図は、法隆寺金堂壁画の再生の一役を担っています。 

最愛の一人娘を幼くして失う不幸もありましたが、一生を古仏画に捧げ、昭和211946)年に73歳でその生涯を閉じます。現在、史跡・太田城跡そばにある生家前には文化財の標柱が立ち、空如の偉業をしのぶことが出来ます。

平成24(2012)年5月掲載
令和4(2022)年3月更新

■参考文献
『信仰の仏画師 鈴木空如』大岸佐吉/著
『鈴木空如の信仰と芸術』パンフレットより

【問い合わせ先】大仙市文化財

●住所/大仙市高梨字田茂木10
●電話/0187-63-8972

 

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