-鳥海山と共に歩んだ歴史-
にかほ市の冬師・釜ケ台地域を歩くとまず目に飛び込んでくるのは、鳥海山の秀麗な姿です。地質学的にも、また歴史的な意味でも、冬師・釜ヶ台の歩みはこの鳥海山と共にあります。
今から約2,500年前(紀元前5世紀ごろ)、火山活動の結果、鳥海山の山腹が大崩落を起こしました。西側に流出した土砂はやがて、象潟の名勝「九十九島」を形成し、歌枕としても知られる名勝となりました。
一方、真北に押し出された岩石は、現在の冬師・釜ケ台地域をすっぽりと飲み込みます。崩れた山のかけらは南由利原の泥流丘となり、のちの冬師湿原の原形となりました。
また、豪雨や融雪により土石流が堆積、ナラ・ブナ・ケヤキ・スギの巨木が埋もれ木となり今も眠っています。これらの埋もれ木は、希少木材として高値で取引されています。
釜ケ台の開発が始まったのは江戸時代、それ以前から源平の落人が住んだという説もありますが、本格的な開発が始まったのは、嘉永3年(1626年)前後といわれています。
冬師集落の南にある冬師山は、江戸時代、本荘藩と矢島藩との藩境となっており、藩境の森林の伐採などを巡ってトラブルが絶えず、遂に死者が出て幕府が裁定する事態にまでなりました。
天保4年(1833年)の飢饉(巳年のケガジ)については、当時の冬師・釜ケ台地域に数多くの記録が残されており、毎日のように死者が出て墓地での葬儀が行われたこと、鍋蓋を制作して町に売りにいって飢えをしのいだことなどが記されています。天保五年には作柄は戻ったものの、飢饉の反動で食べ過ぎて死んだ者がいたという記録もあります。
■参考文献
『鳥海山史』
『仁賀保町史』
『オールガイド日本の火山(4)東北の火山』
『鳥海山と東北の氷河期』
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