かつて男鹿市加茂青砂(かもあおさ)地域は、加茂村と青砂村に分かれていました。「享保黒印高帳」によると、享保12年(1727)、加茂村は19軒、青砂村には11件の家があり、陸地の交通手段であったであろう馬は20頭居たと記されています。その後、二つの村は明治9年(1876)に合併し、一つの地域となりました。
かつての村の境に、現在でも7尺(約210cm)もの延命地蔵が立っています。延命地蔵とは、新しく生まれた子どもを守り寿命を延ばすと言われるお地蔵様です。その昔、この延命地蔵が加茂の裏山にあったときは加茂の海でニシンが多く取れ、青砂のカンカネ洞の上に移したら青砂の海でニシンがたくさん取れたというのです。そこで村の境に持ってきたといわれています。
男鹿市史によると、この大きな延命地蔵は、加茂と青砂の集落で争い、夜中に背負って持ち出す者もいたそうです。「持ち出した集落のほうのニシンが大漁になる」と言って、大きくて重い地蔵をよく動かしたものと、今でも住民の語り草になっています。
平成22(2010)年8月掲載