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歴史を知る

南北朝時代の信仰の足跡「板碑」

画像:南北朝時代の信仰の足跡「板碑」

 男鹿市内には多くの「板碑」が残されています。板碑とは板状の供養塔のことですが、鎌倉時代に関東地方で石を使った板状の石塔が流行し、その後、石塔タイプの板碑が全国に広まりました。
 
 男鹿中地域でも3カ所(山田、町田、浜間口)に板碑が残されており、石材はみな寒風石です。山田と町田の2つの板碑は男鹿市の有形文化財に指定されています。
 
 山田の板碑は、国道101号沿いの旧男鹿中中学校グラウンド向かいの私有地にあります。板碑には「庚永四年(1345年)」という年号や梵字が刻まれており、南北朝時代(室町時代初期)のものと推測されています。
この他にも「アン、ウン」という梵字や、「吉真」という人が両親の菩提を弔うために建立した内容が石に刻まれています。
 
 町田の稲荷神社境内にある板碑は、「観応二年(1351)」と、当時の年号が刻まれ、「阿弥陀如来」の梵字や「南無阿弥陀仏」の名号が彫られていることから浄土宗系の板碑と推測されています。
 
 海沿いの浜間口の板碑は国道101号沿いにあり、「空・風・火・水・地」を表す五輪形の梵字が刻まれています。江戸時代の紀行家・管江真澄は日記「男鹿の春風」に、男鹿中の板碑を絵と文で残しています。
現地には説明看板や標柱も設置されているので、男鹿中地域を訪れた際は、南北朝時代の人々の信仰の足跡にふれてみてはいかがでしょうか。
 
2014年5月28日掲載
■参考文献
『男鹿市史』『男鹿市の文化財 第12集』
『管江真澄と男鹿 ~男鹿の管江真澄の道~』『現地説明看板・標柱』

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