1月13日(日)、男鹿市安全寺地域で「アミダ様」の行事が行われました。
アミダ様は昔から地域で継承している小正月行事です。

●アミダ様に焼香する様子

アミダ様が行われるのは、地域にある「安養寺(あんようじ)」。

お寺の外では、男性たちが「柴灯(せど)」をたいていました。
柴灯とは、神様や仏様の前でたく、かがり火のことです。

  

昔から、アミダ様の日に必ず柴灯をたいており、
地域住民は、正月のしめ飾りなどを持ち寄って柴灯にくべます。

柴灯を囲み、男性たちの思い出話に花が咲いていました。
「昔は、柴灯をたくのは青年会の仕事だったんだよ」
「朝早くから柴灯に使う木を切り出して、午後からは(ナマハゲの)ケデ(※)編みしたっけな!」
1990年頃までは、安全寺のナマハゲ行事は1月16日に行われていました。
現在、アミダ様は1月15日より前の日曜日に行っていますが、
昔は毎年1月15日に行っていました。
ナマハゲ行事の前日に当たるため、その日にケデを編んだのだとか。
(※)藁を編んで作るナマハゲの衣装のこと。

お寺の中では、女性たちが、アミダ様のお供えを準備していました。

お膳は、並べる順番が決まっており、女性たちが代々受け継いできたものです。

正午になると、ご住職より、お経が唱えられ、アミダ様のお堂がご開帳されます。

アミダ様の姿を見ることができるのは、一年の中で、この一回だけなんです。

アミダ様は、安全寺地域の名称の由来になった、地域にとって大切な神様です。
元々は、海の安全を守る神様で、海を見渡せる山の中にありました。
地域の方から、地域でアミダ様を祭るきっかけにつながる伝説を伺いました!
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ある時、突然、海で事故が多発するようになりました。
事故が起こった時、山の中で何かが光るのを目撃した方が、その場所へ行ってみると、
朽ちてボロボロになったアミダ様が佇んでいました。
いつしかアミダ様を祭る方がいなくなり、山の中で朽ちてしまったのでしょう。
その様子を見た安全寺地域の方が、アミダ様を背負って山を下り、安養寺へ祭ると、
海の事故はピタリとなくなりました。
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海の「安全」を守る神様を「寺」に祭っているから、「安全寺」と呼ぶようになった……といういわれがあるそうです。
アミダ様のお堂の中には、海に関わる神様だということを表すかのように、
船をこぐための櫂(かい)が一緒に祭られていました。

昔は、アミダ様の日に、大漁祈願のため、たくさんの漁師たちが訪れたそうです。

ご住職がお経を唱えている間に、仏前に供えられた鏡餅を下ろし、柴灯で焼きます。

真っ黒な「護摩(ごま)餅」ができあがりました。

護摩餅は、人数分に切り分けられ、配られます。
食べると、一年間風邪をひかないと言われているそうです!

今年一年、安全寺の皆さんが、アミダ様に見守られ、健やかに過ごせますように!
以上、男鹿市安全寺地域から、集落活動コーディネーターがお届けしました!

●ピックアップ!
昨年の大晦日に行われたナマハゲ行事の写真をご提供いただきました!

写真は、地域内にある日枝(ひえ)神社でナマハゲが四股を踏んでいる様子!
安全寺のナマハゲは、地域内を回る前に、日枝神社と安全寺公民館の前で四股を踏むんですよ。
昨年は、ナマハゲを担う住民に不幸があり、人数が不足したそうですが、
帰省した2人の若者が、ナマハゲにふんしてくれたそうです!

「担い手が若返ったようでうれしかった」と、
ナマハゲを継承する、有志の会の安田俊之さんがコメントしてくれました!