8月13日、八峰町の石川地域の「石川駒踊り」を見に行ってきました!
当日は残念ながら小雨が降る天気となってしまいました。
(写真は石川地域・稲子沢にある石川の花壇。郷土愛が伝わってくる花壇です)
分厚い雨雲の隙間からは青空が見えていたのですが……。
石川多目的集会施設では、石川郷土芸能保存会の皆さんが準備中。
雨が心配なので太鼓にはビニールをかぶせています。
小学生の男の子たちも武者姿に身を包み、凛々しい姿で本番を待ち望んでいます。
18時になると施設隣の曽布沢(そふさわ)神社前に移動し、
石川駒踊りと奴踊りを奉納しました。
最初に奉納するのは「奴踊り」。石川の駒踊りと奴踊りは
慶長7年(1602年)、佐竹氏の家臣が伝えたと言われています。
地元の人の話では、演目は関ヶ原の合戦を表しているのではないかと言います。
駒踊りが騎兵なら、奴踊りは歩兵のようですね。
水色を基調とした浴衣に青・黄・赤の布でたすき掛けした姿が優雅で勇ましい奴踊り。
鮮やかなピンクや濃紺の衣装をまとっている子どももいます。
棒を使った踊りのあと、棒を中央に置き、
その周囲を奴の皆さんが円を描くように囲みながら、扇子を使い舞を奉納しました。
そして次は駒踊りです。
4~5人ごとに列を組んで駒たちが向かい合います。
「と~ざい(東西)!振っこみ頼む!」と一人の男性が叫ぶと
太鼓、笛によってお囃子の音が鳴り響きます。
そして駒の踊り手たちが「しゃんしゃん」と鳴るスリガネのような物を
手綱のように両手に持ち、駒踊りが始まりました!
※「振っこみ」とは演目の名前です。他の演目に移る時は「~~頼む!」と叫んでいます。
東西とは、東西に分かれて戦った関ヶ原合戦にちなんでいるようです。
激しい動きで知られる石川駒踊りですが、噂通り神社前の会場を縦横無尽に駆け巡り、
足を大きく振り上げながら、向かい合っている列の駒たちと交錯したり離れたりして飛び跳ねました。
衣装の重さは子ども用で6~7kg、大人用は10kg以上あります。
飛び跳ねると重量感のある華やかな衣装が跳ね上がり、駒踊りの躍動感が伝わってきました。
とにかく若者たちの表情が楽しそう!
大人の列に負けじと、小学生も一生懸命踊りました。少し緊張気味だったかな?
経験を積み重ねれば先輩たちのように余裕がでてきそうです。
次の会場は正伝寺です。
お盆ということもあり、境内の墓地にはお墓参りで備えた真新しい花々が飾られていました。
移動途中に、石川郷土芸能保存会の男性からお話を伺うことができました。
「後継者づくりも大事だけど、厳しくやるより子どもたちには楽しい思い出を残したい。
そうすると楽しんだ子どもたが“好きだったから”“楽しかったから”と
大人になっても“やりたい”と言ってくれる」。
お盆本番の練習は7月から始まりしたが、
子どもたちから「練習はいつ始まるの?」と言ってくるといいます。
男性の息子さんも駒踊りの演じ手で、
この日は体調を崩し駒踊りを踊ることはできませんでしたが、
裏方のお手伝いをがんばっていました。
男性は「親が知らないうちに自分で行動するようになるんだな」と子どもの成長に感心していました。
さて、次の会場は、県道143号線と63号線が交差する鈴木商店前の十字路。
この場所での踊りが一番盛り上がりました。
なんとTシャツ姿の男性が飛び込み参加していました!
気心の知れた仲なのでしょう。駒の踊り手たちも「来た来た!」といった感じで
笑いながら一緒に踊っています。
雨がひどくなる場面もありましたが時間が経つにつれ観客はどんどん増えていきます。
お寺で演じきった小学生も駒姿で先輩たちの踊りを見つめていました。
今年の石川駒踊りと奴踊りには塙川(はなわがわ)小学校の児童も参加しました。
「石川地域の郷土芸能」から「八峰町の郷土芸能」へと残していく取り組みも始まっています。
今回はそんな郷土芸能をじっくり堪能しつつも、親子、夫婦、友人、
郷土芸能を通じた石川の人々の姿を見ることができました。
石川地域からのリポートでした!