横手高校野球部・感動をありがとう

横手高校同窓会・関西美入野会

8月11日(火)、我が母校秋田県立横手高等学校野球部が、57年振りに全国高校野球選手権大会に出場し、甲子園の土を踏んだ。



試合は、福井県代表「敦賀気比高校」との対戦で、健闘むなしく、0-10で敗退した。

先発の佐藤宙斗君は12安打と打ち込まれたが、10個の三振を奪い奮闘した。
多くの卒業生、横手市民は皆、感動し、惜しまない拍手を送った。
秋田県予選を勝ち抜き、7月21日に大曲工業を破り、甲子園出場を果たしたと聞いた時から、私はどこか夢の中にいる様で、不思議な感覚の中で、数日を過ごした。

私は、1977年(昭和52年)卒業(73期)で、高校在学中は3年間硬式野球部に在籍した。
ほぼ毎日野球ばかりやっていた。私の高校3年間は、決して楽しいものばかりでは無かった、むしろ苦しかった思い出の方が圧倒的に多い。
1年生の時は、金属バットは普及していたが、打撃練習では、硬式用竹バットで練習した。芯を外すと、手が痺れて痛かった。守備練習で外野のフェンスに激突し、膝を数針縫った事もある。ノックでイレギュラーしたボールが、股間に当たり、悶絶したりもした。

私は汽車で、旧山内村の相野々駅から横手駅まで通学した。3年生になった何ケ月かは、自転車で片道8㎞の道を通っていた。
毎日授業が終わってから、練習に明け暮れ、家に帰れば真っ暗で、夕食、風呂に入れば猛烈な眠気が襲って来る。このまま眠って、予習復習をしないと、次の日の授業について行けず、成績は下がる。2年生の終わり頃は、全校で後ろから数えて数十番の所まで、成績が落ちた。

同期で野球部に入った仲間は、勉強との両立に悩み、一人、二人と野球部から去っていった。私が3年の夏は、1年から3年まで合わせて、11人しか部員がいない、まさに暗黒の時代だった。
それでも野球を辞めなかったのは、自分でも不思議だが、半ば意地で続けたのだと思う。
ただ、野球を続けたおかげで、かけがえの無い仲間、先輩、後輩、恩師達との繋がりが出来た。
苦労を共有した事で、何年経っても再会すれば、直ぐに当時に帰る事が出来る。これは一生の宝物だと思う。幸い大学に進学でき、そこでも又野球が出来た事は良かった。今度はある程度楽しみながらの野球で。

大学を卒業し、就職し、長く関西に住んでいるが、どこに居ても、母校を忘れる事は無い。
母校と、同窓会組織「美入野会」は、今回の甲子園出場という大イベントをどうするかで、相当な覚悟を持って臨んだと聞いている。
私の所属する「関西美入野会」も現地担当として、連日準備に追われた。
チケットの配布、グッズの配布、会員への連絡、「近畿秋田県人会」とのリレーション等々で、飛び回った。

おかげ様で、大きなトラブルも無く、全国からはせ参じた卒業生、野球部OB、秋田県ゆかりの方達がまさに一体となって、甲子園で応援をした。その光景は、勝敗に関係無く、人々を感動の渦で巻きこんだ。アルプス席で、校歌、団歌等を歌った時は、思わず涙が出そうになった。

生きている内は、母校の甲子園出場など無理と、半ば諦めていたが、本当に後輩達は、やってくれた!なんと素晴らしい後輩達よ。こうなったら、欲深い話しであるが、来年以降も甲子園に度々来てほしい。そして、次こそ、1勝を挙げてほしい。

関西美入野会 副会長 柴田 拓(73期)

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