観覧車、福岡から秋田へ

福岡秋田県人会

1月にしては暖かい雨の中、「カンカン!カンカン!」とハンマーなど工具の音が響いて観覧車の撤去作業が進んでいました。日曜返上の突貫工事、この日は大学入学共通テスト二日目、しかし開園中に比べると穏やかな音です。既にジェットコースターなどの撤去は終わり、広くなった跡地に作業用のクレーンが据えられていました。跡地で最後に残ったのが観覧車です。ここは、博多湾内の北東部、福岡市東区香住ヶ丘(かすみがおか)にあった「かしいかえんシルバニアガーデン」跡地です。12ヘクタールの敷地の中心に直径(高さ)36m、冷暖房完備、16基のゴンドラを備えたバリアフリーの観覧車でした。3代目として設置されたのは、2017年3月ですから、6年足らず、既に解体されて地上に並んだ観覧車のゴンドラや鉄骨類も含めて、新しく、さながら次の出番を待つかのようです。
ここは、1939年4月、博多湾鉄道汽船(西日本鉄道の前身)と地元の海洋土木会社が「香椎チューリップ園」として開業しました。先の大戦中に一時閉鎖されましたが1956年、西鉄が敷地内を四季の花が彩る遊園地として運営を始めました。初代の観覧車は1973年設置、1997年にゴンドラを取り換えていました。2000年代に入って、福岡市内にも商業施設と組み合わせた子供向けの遊園地やテーマパークが出来ましたが、私が子育てをした1970年から80年代にかけては、香椎花園が福岡市内で唯一とも言えるレジャー施設でした。夏場、朝はプール、午後はアトラクションと一日を過ごす場所でした。アトラクションは、有名歌手だけでなく、屋内ステージの特撮ヒーローやキャラクターショーが人気でした。2021年12月末、65年の歴史の幕が下ろされた日は、1万本のアイスチューリップ(冬を疑似体験させた球根)の花が迎える中、遠く長崎などからもファンが訪れ、約9千人が名残を惜しみました。ここで遊んだ子供たちが成長し、2代3代と訪れる場所でした。
NHKのテレビ番組「ドキュメント72時間」は、毎回ひとつの現場にカメラを据え、そこで起きる様々な人間模様を72時間にわたって定点観測するドキュメンタリー番組です。「秋田真冬の自販機の前で」は、人気全国一になりました。その番組が2022年末、「福岡あの遊園地は永遠に」として放送しました。番組のナレーションは、2021年夏、東京五輪の開会式で君が代を独唱した歌手のMISIAでした。MISIAは、長崎県対馬市生まれですが、中学校から福岡市に移り、香椎花園に極めて近い福岡県立香住丘高校で学びました。MISIAは、高校時代、教室から香椎花園のジェットコースターに乗ったお客さんの「キャー!」と言う歓声が聞こえたと言っています。やはり、この高校での話、先生が授業中に「こんなもんも分からんとか!」と怒り出した時も、空気を読まずに流れてくる「ボク、アンパンマン!」「おいしいパンを~作ろう~♪」。先生が「(センター試験を)外部から受ける人達は、この音がうるさいだろうが、おまえたちは毎日聞きよるから平常心で臨める。強みだ!」というようなことを言っていて当時の試験をこの高校で受け、見事、志望大学に現役合格したという生徒もいました。福岡の人たちが乗り博多湾を眺め思い出が詰まった観覧車、その思い出を乗せた観覧車が、まもなくトラック20台に乗せられ、秋田に向かいます。

観覧車、福岡から秋田へ

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