遺跡の概要・調査成果

払田柵に関する学説

払田柵は何か

払田柵は遺跡発見以来、古代の城柵跡と考えられてきたが、古代においてどう呼ばれていたものなのか、ということについては、色々な説があって、今日まだ決着していない。

その学説には、無名不文の遺跡説、河辺府説、雄勝城説、山本郡衙説、志波城説がある。
河辺府説には払田柵を発見した後藤宙外によるものと、新野直吉・船木義勝両氏によるものとがある。
雄勝城説は高橋富雄氏によるものが代表的であるが、喜田貞吉氏による移転雄勝城説もある。
ここでは、無名不文の遺跡説、河辺府説、雄勝城説を紹介したい。