第7次5年計画(平成16~20年度)において初めて「払田柵跡関連遺跡の現況調査」として明文化した。
関連遺跡とは、払田柵跡の実体解明には欠くことのできない「雄勝城」をはじめ、付属寺院・官衙・集落・生産施設・墓地などである。
具体的な調査としては平成17年度の現地踏査に始まり、雄勝郡・旧平鹿郡のうち、雄勝城が造営された8世紀代の古墳・須恵器窯跡・集落跡が集中している羽後町と横手市雄物川町を対象とした。
年度 | 調査の詳細 | 調査結果掲載報告書 |
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H17 | 雄物川町末館地区の踏査を実施。 | 『払田柵跡調査事務所年報2007』 |
H18 | 羽後町上鴨巣地区及び雄物川町内山・矢神・造山地区周辺の踏査を実施。 調査の結果、造山字十足馬場地内から新たに8世紀後半代の集落跡を発見し、十足馬場南遺跡として新規登録・周知した。 |
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H20 | 横手市雄物川町におけるほ場整備事業に係り、市教委が立ち会い調査を実施した町屋敷遺跡において、規模の大きな総柱の掘立柱建物跡が検出。 この件について、横手市教育委員会及び県教育庁生涯学習課文化財保護室から調査協力の要請を受け、関連遺跡の調査として同遺跡の内容確認調査を実施することになった。 |
『払田柵跡調査事務所年報2008』に「関連遺跡の内容確認調査-町屋敷遺跡」として報告。 |
H21 | 横手市雄物川町造山地区で試掘調査を実施。 調査の結果、造山字造山地内から竪穴部の外側にカマド燃焼部を持つ竪穴建物跡を検出し、8世紀後半代の集落跡を確認した。 また事務所による試掘調査がきっかけとなり、地元に「造山の歴史を語る会」が結成された。 |
『払田柵跡調査事務所年報2009』 |
H22 | 造山地区での過去2回にわたる台地中央部の調査成果を受け、蝦夷塚古墳群や町屋敷遺跡に近い、雄物川を臨む台地西側における当該期の遺跡の有無を調査することを目的とした。 調査の結果、江戸時代の集落跡及び平安時代の散布地を発見し、造山Ⅲ遺跡として新規登録・周知した。 |
『払田柵跡調査事務所年報2011』 |
H24 | 引き続き台地西側を対象としたが、より雄物川に近い台地西端部を調査することを目的とした。 調査の結果、縄文時代早~前期の陥し穴のほか、8世紀末葉頃の竪穴建物跡が検出された。 この台地西端部に位置する奈良時代末~平安時代初めの集落跡は、蝦夷塚北遺跡として新規登録・周知した。 |
『払田柵跡調査事務所年報2012』 |
H25 | 前年度発見した蝦夷塚北遺跡南側の調査を実施し、遺跡範囲の見直しを行った。 | 『払田柵跡調査事務所年報2013』 |
H26 | 蝦夷塚北遺跡西側の調査を実施した。 調査の結果、8世紀末葉~9世紀前半代の竪穴建物跡、並びに柱穴列を検出して蝦夷塚北遺跡の範囲を見直した。 |
『払田柵跡調査事務所年報2014』 |
H27 | 『払田柵跡調査事務所年報2015』 | |
H28 | 空中写真によって、一辺70m程の方形地割りが見える栗林遺跡隣接地を調査した。 | 『払田柵跡調査事務所年報2016』 |
H29 H30 |
試掘調査を休止して造山地区及びその周辺の踏査を行い、土地利用状況図を作成すると共に今後の調査地点の選定を行った。 | - |
R01 | 前年度までに選定した試掘調査候補地点のうち、当事務所で調査を行ってこなかった台地東端、貒袋遺跡隣接地を対象として試掘調査を実施した。 これまでの横手市教育委員会による調査では、円面硯・二面硯を出土した東槻遺跡、丸瓦・平瓦を出土した十三塚遺跡など官衙関連想定遺跡の台地東側への偏在が調査地選定の大きな理由であった。 |
『払田柵跡調査事務所年報2019』 |
R02 | 造山地区の踏査を行い、貒袋遺跡周辺の微地形を確認した。 | - |
R03 | 貒袋遺跡の第2次調査を行い、高位面、低位面のトレンチでそれぞれ溝跡を検出した。 東槻遺跡、貒袋遺跡で検出した溝跡が一連の東西溝であることを確認し、幅10mの東西道路が、地形の高位にかかわらず東西に延びている可能性が高まった。 |
『払田柵跡調査事務所年報2021』 |
R04 | 造山地区の北東部の畑地を試掘し、壁の方向が東西または南北に一致する竪穴建物跡2棟を検出した。掘立柱建物跡の柱穴も同じ方向で並ぶ。 主軸方向がそろう集落跡であることが判明し、新発見の十足馬場東遺跡として周知された。 |
『払田柵跡調査事務所年報2022』 |