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食を楽しむ

マタギが伝えた「幻」の伏影りんご

画像:マタギが伝えた「幻」の伏影りんご

 伏影地域は、旧阿仁町唯一のりんごの産地と言われています。どうして伏影だけにりんご栽培が根付いたのでしょうか。

 明治時代、マタギの獲った熊の胆(くまのい)を全国各地に売り歩いていた時に、青森県からりんごの苗木を持ち帰ったのが始まりでした。伏影では、水路を巡らせた低い部分で稲作をし、水路のない少し高い農地は畑として大豆や小豆、野菜を栽培していたそうです。元々石が多く、あまり畑に向かないとされた土地でしたが、りんごとはとても相性の良い土質でした。石があるおかげで水はけが良く、根に酸素や養分が行き渡りやすかったのです。病害虫の防除技術などが伝わっていなかったため、大正時代にはほぼ樹が全滅というところまで枯れてしまったこともあったと言います。その後、青森県から防除技術が導入され、伏影のりんごは息を吹き返しました。

 第二次世界大戦で兵隊として出征していた伏影の伊藤金蔵さん(阿仁町長の像を建立)は戦地で青森県のりんご農家と出会い、「お互い生きて帰れたら、きっと伏影にりんごの技術を教えに行く」と約束しました。平和な時代になり、彼は伏影までやってきて、剪定などの技術を伝えてくれたそうです。 

 澄んだ水、伏影の土によって、甘く、みずみずしく、大玉になる「伏影りんご」。ほとんどが旧阿仁町内で贈答用や自家用として消費され、他の地域に出荷されなかったことから「幻の伏影りんご」とも呼ばれています。
品種は「ふじ」を主力に、「つがる」、「王林」など様々な品種が栽培されています。収穫シーズンを迎える秋には、道の駅「あに」にもぎたての伏影りんごが並びます。

【外部リンク】道の駅あに「またたび館」
●ウェブサイト 北秋田市役所公式ページ
2013年6月掲載

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