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歴史を知る

上小阿仁村の菅江真澄

画像:上小阿仁村の菅江真澄

 

 文政3年(1820年)、江戸時代の紀行家・菅江真澄は、五城目町から上小阿仁村に向かう旅の様子を『雪の山越』にまとめています。雪景色が広がる五城目街道を歩きながらそこに住む人々を描写し、上小阿仁村の「中茂集落」の様子をスケッチに残しています。五城目街道は五城目町と阿仁地方の人と物資の流通を結ぶ重要な街道でした。真澄は五城目町の中津又から中茂へ通じるルートを通っています。
 
 中茂は上小阿仁村・沖田面の枝村で、現在は国道285号からアクセスできます。真澄が訪れた当時は、住居が5、6戸並び、木樵(きこり)や炭焼きを生業とする中茂の雪景色をスケッチに残しました。上小阿仁村の記述は真澄の著作の中でも数が少なく、さらにこの『雪の山越』は全文が残っていません。失われた部分に上小阿仁村の描写が記述されていたのではないかと推測されます。
 
 『雪の山越』の他に、上小阿仁村の記述は、『房住山物語』、『花の出羽路秋田郡』、『月のおろちね』で確認することができます。上小阿仁村の沖田面集落で、幾千年経っていると推測される、耳や目が備わった人面のような「翁面大樹」のスケッチは、木が本当に人の顔のようでユニークです。この翁面が里の名前となり変化し、現在の「沖田面」の地名になったのではないか?と『房住山物語』の中で推測しています。
 
 「花の出羽路秋田郡」では、七倉神社の描写が見られ、参道の入り口には、神社の由来を記した真澄の標注も立てられています。「月のおろちね」では、5日かけて太平山に登頂し、360度の眺望の素晴らしさを記しています。菅江真澄の足跡をたどりながら上小阿仁村の歴史にふれてみてはいかがでしょうか?
2011年6月掲載

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