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歴史を知る

大葛の歴史

画像:大葛の歴史

-金山が支えた集落-

大葛温泉の奥に「金山」という地名が残っています。その名の通り、大葛は金山で栄えた地域でした。旧南部藩との境にあたる大葛地域では、古くから金の採掘がおこなわれてきました。伝説によれば、八世紀に発見され、奈良東大寺の大仏、室町時代には金閣寺にも使われたとも伝わります。

 また一説には、慶長年間(1596年から1615年)、関ヶ原の戦いの前後にはすでに鉱脈が発見されて採掘がおこなわれていたとも言われています。

 鉱山の盛衰を支えた家として、荒谷家が挙げられます。口伝では鉱山の発見までさかのぼるとも伝わりますが、確かな歴史資料に登場するのは、安永8年(1779年)、藩が荒谷忠兵右衛門に対して閉山同然の金山の再興を命じます。これより先、90年ほど荒谷氏は鉱山の経営に携わることになります。荒谷家は長く金山を支え、県道22号線沿いの邸宅跡には標柱があります。

 その隣には、菅江真澄の標柱も控えめに立っています。菅江真澄は享和3年(1803年)にこの金山を訪れ、標柱には真澄の書いた『すすきの出湯』にある和歌が書かれています。

 さて、金山は幾度か盛衰を繰り返すものの、鉱石の産出は続きました。明治期からは、経営者を替えながら、休山、さらには戦争による再開などを経て、昭和に入っても採掘は続きました。しかしながら、徐々に鉱脈は枯渇していき、昭和50年、長い歴史を誇る大葛金山はついに閉山となりました。

 当時、大葛地域の中心地、大葛集落には金山の労働者たちの福利厚生の施設が集中していました。商店街には映画館もあって、地域は大いに賑わったといいます。今でも稲荷神社の近くには、映画館だった建物が残されています。また、大規模な選鉱場跡・精錬場跡も残っており、ベニヤマ荘の駐車場からは、山腹に階段状に残るコンクリートの土台や、精錬場跡のからみ石(精錬された鉱石くず)を見ることが出来ます。

2011年4月掲載

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