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歴史を知る

山師「伊多波武助(いたばぶすけ)」

画像:山師「伊多波武助(いたばぶすけ)」

伊多波武助は長慶金山の開発で知られる江戸時代の鉱山師です。

 もともとは現在の三重の人でしたが、13才で浪人となり、秋田に入っています。武助が名乗った「伊多波」の姓は、生国の、伊勢・多気・波多瀬の頭文字を取ったものです。
 その後、若き鉱山師として頭角を現し、巨万の富を築くことになりました。武助の宏壮な屋敷は人目を引き、古川古松軒の『東遊雑記』では、「都がたにも稀なる家もあるやとおのおの立ち止まりて見物せしほどなり」と形容されています。
 また、土崎にも別邸を構え、大ぶりのニシンだけを選り抜くことを表す“イタバククリ”という言葉を生みました。
 
 佐竹藩への献金は、伊多波家四代で総額12万両、120億円にも上り、その功績によって武士に取り立てられています。二代目・武助の時代に至り、新家武士としては領内最高の一千石を与えられました。
 
 実のところ、文献上では武助が長慶金山を請山(うけやま)したのは、わずか一年ほどの間のことでした。長慶金山は南北朝時代の長慶天皇が落ちて、崩御された場所と云われています。武助が常に長慶金山と結びつけて語られるのは、華やかな生涯が伝説の金山にふさわしいからなのでしょう。
 
 山田洞雲寺の宝篋印塔など、秋田県北部の寺社には武助の寄進によるものが数多く残り、繁栄の跡を今に留めています。
 
                               2010年4月掲載
 
 
■参考文献
『田代町史』

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