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語りを聞く

三ツ矢沢自治会

画像:三ツ矢沢自治会


 三ツ矢沢の名前は、「三つの谷沢」ではないか、という説があります。
 三ツ矢沢の山向こうは尾去沢鉱山。尾去沢鉱山の発達と共に集落が発展しました。鉱山で働く人、その人たちに山で作った炭や山の幸を売って生計を立てる人たちの生活の場として賑わっていたのです。
 
 幕末の盛岡藩の藩士・漆戸茂樹の地誌「北奥路程記」(安政2年(1856年)に鹿角を視察)には田郡(たごおり)、元山、赤沢、獅子沢、西道、笹子屋に合計310軒の家があったと記されています。人々が住み着くにつれて、少しずつ田んぼも開墾されていきました。明治になり、400戸弱という大規模な社宅が長屋のように建ち並んだ時代もありました。
 
 現在、三ツ矢沢には、下新田自治会と中新田自治会があり、「三ツ矢沢自治会」というのは二つの自治会の協議会です。昭和50年代までは上新田自治会が存在し、三つの自治会の協議会でした。どちらの自治会も、会長は2年ごとの選挙で選ばれます。
 
 また、三ツ矢沢自治会は基本的に自治会活動へは夫婦で参加することが特徴的。総会には、世帯主が一人出席し、夫婦の場合は妻は台所へ。夫がいない女性は世帯主として総会に出席します。その後の会食は、男女問わず全員が参加します。
これは、昭和40年代に行われていた「夫婦学級」からの習慣だといいます。夫婦学級は、生涯学習の一環として行われていました。子どもがいる人は両親に預けて必ず出席したといいます。自治会館でリボンフラワー作りや講演会、料理教室などが開催されていました。鹿角パークホテルではテーブルマナーの講習会も開かれ、洋食など食べたことのなかった三ツ矢沢の若夫婦に好評でした。
 今も「地域を元気にするには女性のパワーが欠かせない!」という三ツ矢沢自治会です。
 
2013年6月掲載
■参考文献
秋田魁新報 2004年1月9日号 

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