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歴史を知る

十和田湖を目指した菅江真澄の足跡

画像:十和田湖を目指した菅江真澄の足跡

-紀行「十曲湖(とわだのうみ)」に記された小坂町-

 文化4年(1807年)8月から9月にかけて、江戸時代の紀行家・菅江真澄は、秋田と青森の県境にある十和田湖をめざします。

真澄のスケッチを見ると、まもなく紅葉が始まろうという季節、現在の鹿角市毛馬内を出発し、十和田湖へ向かう旅路で見聞きした内容が、紀行「十曲湖(とわだのうみ)」にまとめられています。

鴇集落の近辺では、高寺山のある鳥越集落に立ち寄りました。どの家も門口に注連(しめ)を張り、男女の鬼になぞらえた2つの草人形を厄除けに設置している様子を記し、千手観世音の堂(高寺山神社の前身)に詣でて、高寺山の桜に興味を示しました。花を愛でる風流人・真澄の性格がこんな描写からも伺えます。

鳥越の里を発ち、鴇集落に立ち寄った真澄は、馬の神を祀っている社の様子を描写しています。勝善平にあったと記されていることから、現在の駒形神社と推測されます。

また、江戸時代に発見されたと言われる鴇鉱山を「ときとおやま」と記し、百年むかしには掘り出されていたという逸話を村人から聞きながら、鴇の山並みを眺めています。この後、鴇を後にし、真澄は名瀑・七滝へ向かうのです。

十和田湖に向かう真澄は、行く先々で美しい風景と北国の伝説に出会います。日本の滝百選の一つ・七滝では、七滝神社に住んでいた大蛇の伝説を記し、2首の短歌を残しました。八幡太郎義家が後三年の役で陣をしいたという伝説が残る城が倉や、岩手山、岩木山、森吉山が見える熊坂の峠で、雲海の中にうっすらと現れる山の姿をスケッチに残しています。

念願の十和田湖に到着した真澄は、様々な場所から十和田湖のスケッチを数多く残しました。どのスケッチにも赤やオレンジ色に色づいた木々が描かれています。神秘的な北国の景勝地は、紀行家・菅江真澄の感性を存分に刺激したようです。「この湖を見るならば、三四日あっても足りない」と記したことからも、昔も今も十和田湖が人々を惹きつける場所であることが真澄の「十曲湖」から知ることができます。

2011年3月掲載

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