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歴史を知る

坑道の通学路

画像:坑道の通学路

 三ツ矢沢地域から、尾去沢へと山を貫く坑道。この坑道は、かつて三ツ矢沢の子どもたちが通学路としても使っていました。
 坑道の中は電灯のおかげで明るかったのですが、停電の際は真っ暗になり、足でトロッコのレールを確認しながら歩いたと言います。慣れている道とはいえ、坑道前で誰か友達が来るのを待って一緒に歩いたこともあったそうです。
 
 坑道は2つありました。一つは中新田集落の人々がよく使った「田郡(たごおり)坑口」です。中新田集落から二本松を目印に山をのぼると、急な斜面の突き当たりに田郡坑口が開いていました。
 三ツ矢沢の人々は、田郡坑口からの坑道と山越えの2つの道を使っていましたが、山越えの道の下に鉱床が見つかり、山道を立ち入り禁止にした代わりに通路として新たに坑道が掘られました。これが三ツ矢沢のもう一つの坑道です。 
 
 新たに開削された坑道は、下新田集落の北にある下夕沢(したざわ)集落を通った先にある坑口から入ります。「新通洞」と呼ばれ下新田集落の人々がよく利用しました。2つの坑道は中で合流し、合流地点には詰め所が設けられ、尾去沢鉱山の職員が交代で詰めていました。
 
 中新田自治会長・岩城勝義さんが子どもの頃は、尾去沢鉱山の事務所付近にバス停ができたため、歩く距離は6kmほどだったと言いますが、その前の世代は8kmの道のりを、山を越え、坑道を抜け、学校まで毎日歩いて通ったと言います。通学時のエピソードでは「山っこ背負う」といって、学校へ行かずに遊んだ後、山の中の草むらでうとうとと眠って、お弁当を食べて帰ったこともあったとか。
 
 現在、坑口付近は私有地であり、落盤などの危険もあるため普段は立ち入ることができません。平成24年(2012年)秋に開催された「でんぱく」のイベントでは地元の案内人が同行し、三ツ矢沢側の坑口を見学しました。
 
 かつて子どもたちが通った坑道は、緑の中で静かに眠っています。
 
【産地直送ブログ】
2013年6月掲載

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