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歴史を知る

雪の出羽路雄勝郡

画像:雪の出羽路雄勝郡

雪の出羽路雄勝郡に見る菅江真澄の足跡

文化11年(1814年)江戸時代の紀行家・菅江真澄は、地誌作成のため秋田県南部の雄勝郡を旅します。真澄の著作「駒形日記」「高松日記」「勝地臨毫雄勝郡」には、小安峡や川原毛地獄など、現在の観光地も登場し、若畑のような集落名も登場します。この時の旅の内容を編纂しなおしたのが「雪の出羽路雄勝郡」と考えられています。

  「雪の出羽路雄勝郡」は地誌編纂が目的だったことから、宮城県の鬼首や虎毛山、牛毛山などの名所、湯沢の観光地・小安峡の大噴湯、川原毛地獄に加え、稲庭うどんも記録されています。
 
 若畑の隣にある板戸村の曾我吉右衛門という翁を案内役にスタートした紀行には、板戸村から川原毛地獄、泥湯温泉へと向う様がつづられています。現在の「板戸沼」と思われる「小沼」が奥宮山の神様のお手洗い水という由来を記し、奥宮山から見たと思われるスケッチは、今と変わることなく描かれ、真澄の描写力の確かさが確認できます。
 
 真澄はその土地で見聞きした逸話を随所に交えました。阿部徳兵衛という大金持ちの使用人だった猿子という女性の悲しい話を聞いた真澄は、その猿子沼には弁財天を祭った祠があることに気づき「猿子の霊を慰めたのであろうか?」と推測しています。
旅の終わりには「若畑村を下り、桜坂を越えて板戸村の三浦氏の家についた」と記しています。「雪の出羽路雄勝郡」の菅江真澄の足跡から、皆瀬の風景をたどってみてはいかがでしょうか?
 
平成23(2011)年4月掲載

 

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