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歴史を知る

小町の伝説(3)小町の晩年

画像:小町の伝説(3)小町の晩年

 小野地区には、小野小町(おののこまち)にまつわる数々の伝承が残されています。小町ゆかりの地とされる名所旧跡には、伝承について解説した案内板も建てられており、気軽に小町伝承の跡をたどることができます。

 少将の死を悲しんだ小町は、晩年里を離れ、雄物川を挟んだ対岸にある別当山中腹の岩屋堂に庵を結びます。その庵で自分の像を彫るなど静かに暮した小町は、昌泰3年(西暦900年ごろ)に92歳でその生涯を閉じます。
今では木々が生い茂っていますが、かつてはこの場所からはるか小野の里、そして少将の住んだ長鮮寺を望むことができました。晩年の小町は、どのような思いで故郷を眺めたのでしょうか。

 岩屋堂に至る山道の途中には、「二つ滝」と呼ばれる小さな二筋の滝があります。
大きな方の滝「男滝」は、小町が水浴びをしたと伝わり、小さいほうの滝「女滝」はかつて石仏が彫られ、同じ別当山のふもとにあった寺院「小野寺(こやじ)」の僧が修行をしたとも言われています。

 男滝から流れ落ちる水は眼病に効くとも言われ、今でも目を洗いに訪れる人がいるそうです。
また、小野寺には、自身が彫った小町像が納められていました。後に、近くを流れる雄物川の氾濫を避けて、対岸の高台へと寺は移り、当時一帯を支配した小野寺氏にはばかって寺の名を「向野寺(こやじ)又は(こうやじ)」と変えたと言われています。
向野寺は小町像を大切に守りながら、今も旧羽州街道沿いに静かに佇んでいます。
また、その境内には、隠れキリシタンを弔ったマリア観音と呼ばれる像もあります。

 小町伝承の最後は、小町の父、小野良実も信仰したという熊野神社です。同じ境内にあった和歌宮には、小町の文などが納められていたと伝わります。しかし、文禄年間(1592年から1596年ごろ)の最上義光の侵攻により、ことごとく焼けてしまったそうです。

2011年4月掲載

■参考文献
『雄勝町史』
現地説明看板

 

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