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歴史を知る

小町の伝説(2)深草少将の百夜通い

画像:小町の伝説(2)深草少将の百夜通い

 小野地域には、小野小町(おののこまち)にまつわる数々の伝承が残されています。
小町ゆかりの地とされる名所旧跡には、伝承について解説した案内板も建てられており、気軽に小町伝承の跡をたどることができます。

 小野小町と深草少将(ふかくさのしょうしょう)

 深草少将の百夜通い(ももやがよい)
小町は都に上ったのち、それは美しい女性に成長したと伝えられています。和歌の名手としても知られ、彼女の残した歌は「古今和歌集」「小倉百人一首」などに撰ばれ、『古今和歌集仮名序』では「近き世にその名きこえたる人」として六歌仙に、また藤原公任の『三十六人撰』では三十六歌仙の中のひとりとして数えられています。
小町は、都では男たちに言い寄られても契りを結ぶことはありませんでした。
そのつれない態度に、男たちのみならず女性からもいじめを受けたと言います。

 そんな宮中の生活に嫌気がさし、36歳の頃小町は故郷である小野の地に戻ってきます。しかし、京の都では小町が居なくなったことで嘆き悲しむ者たちがおりました。深草少将(ふかくさのしょうしょう)もその一人で、小町に思いを寄せ、遂に小町を追って身分を捨て、郡司代職として小野へ向かい、小町に想いを伝えます。このとき返事を待ったのが「御返事(おっぺじ)」と言われています。小町の返事は、百夜続けて自分の元に通い、亡き母の好きだった芍薬(しゃくやく)を植えてほしいという内容でした。ここに少将の百夜通いがはじまるのです。

 このとき、小町が少将に逢えなかったのは、疱瘡が癒えなかったためと言われています。そのため、小町は磯前神社に毎晩お参りし、百夜のうちに病気が治るように祈願しました。今は水が枯れてしまってありませんが、かつてこの神社には泉がわき、この水で小町が顔を洗ったと言われています。

 少将は「長鮮寺」に宿を借り、一晩ごとに梨の木の姥に芍薬を取らせ、それを持って九十九夜通い続けますが、百夜目に、橋と共に森子川に流されて亡くなってしまいます。

 小町が心配している時に、少将の訃報が届き、小町はその亡骸を二ツ森に葬ったと言います。そして、自分もまた死んだならば隣に葬ってほしいと言い残したとのこと。深草少将と小町の恋の物語は、いにしえの王朝文化を代表する悲恋譚として、また絶世の美女小町の伝承を彩る逸話として、数々の文学作品に題材を提供してきました。

2011年4月掲載
■参考文献
『雄勝町史』
現地説明看板

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