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歴史を知る

仙道地域を支えた産婆「武田ナカ」

画像:仙道地域を支えた産婆「武田ナカ」

 武田ナカは、仙道地域で数百人の赤ちゃんを取りあげた腕利きの「産婆」でした。「バッパ」と呼ばれて親しまれ、親子3代にわたって取り上げてもらった家もあったと言います。
ナカは明治10年(1877年)現在の羽後町新成に生まれ、父親が4歳のころに出奔してしまったことで不遇な幼少期を送りました。その後、母親が仙道地域の武田家に後妻として入ったことで仙道地域に住みつくことになりました。

15歳の時に母親の出産を介助したことをきっかけに、近隣の産婆を訪ね歩いて知識や技術を磨いたと言います。その頃は「産前は陣痛の始まる直前まで」「産後は21日経てば男と同じように野良仕事をしなければ不甲斐ない」と言われ、無理がたたって亡くなるお嫁さんも多かった時代でした。自身も病弱だったナカは、女性たちの為に何か出来ることを模索していたのかもしれません。無医村であった仙道地域では妊産婦への保健指導も行い、次第に「取り上げならバッパだ」と評判を呼びました。その助産術は小安観音への強い信仰心に基づいたもので、「藁を2束分産床に敷き、産婦を座らせ、後ろから腰抱きにして呪文を唱えながら赤ちゃんを下げて行く」といった方法が伝えられています。生前、家族にも決して見せることがなかった産婆の七つ道具を黒い箱に入れて持ち歩き、お産に向かいました。

普段は髪結いや鍼灸師といった様々な仕事をしながら、弱い立場に置かれたお嫁さんたちの話を聞き、助言して励ましていたと言います。お産の介助へのお礼は木綿半反程度だったと言いますが、1月15日の小正月にはナカにお世話になった母子が、のし餅を3枚持ってお礼参りに行く習慣がありました。多い時は何十人と集まり、家中、餅だらけになったと言います。ナカは母子を歓待し、ご祝儀をあげていたそうです。

昭和26年(1951年)、ナカのために、地域の女性たちが発起人となって石碑が建てられました。碑文には「頌徳碑 産婆 武田ナカ女 ・・・(中略)・・・卓越セル技術ニヨリ無医村当時ノ妊婦ノ保健指導 嬰児ノ出生ニ献身ノ努力ヲス・・・(中略)・・・同女ノ手ニヨリ 生ヲウケルモノ数百人ニ及ブ(後略)」と書かれています。

昭和32年(1957年)で産婆をやめた後も、地域の子どもたちを集めて民話や歌を聞かせて楽しませたと言います。ナカは87歳の天寿を全うしましたが、仙道地域の新処集落の児童公園には今も頌徳碑が残り、静かに仙道地域の母子を見守っています。
 
■参考文献
土田章彦「鷹匠ものがたり」
朝日新聞 「碑の村」昭和53年1月5日掲載
武田憲一「仙道番楽一代記」
 
2016年3月31日掲載

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