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歴史を知る

院内と菅江真澄(すがえますみ)

画像:院内と菅江真澄(すがえますみ)

 湯沢市院内は、佐竹久保田藩の大きな財源である院内銀山があり、藩境の地として院内関所が置かれていました。江戸時代後期には最大で4千戸、1万5千人の人口を擁し栄え、久保田城の城下町(秋田市)を凌ぐほどの隆盛を築き上げました。 

 紀行家として知られる菅江真澄の足跡がこの地に残っています。天明5年(1795年)4月14日(旧暦)、柳田村(湯沢市)を出発し、小野小町の旧跡と横堀を経由し、院内に到着。そして桂川で和歌を詠み、そこに宿泊します。
 
 翌日には院内銀山を訪れ、町や鉱山を見学して2首の和歌を詠み、院内に下ります。和歌の名人といわれた院内城代大山氏の葬式を見て、さらに和歌を詠み、その日に柳田村に戻ります。
 
 銀山町で「あさつゆを はらえば袖に玉とちる 光ことなる白銀の山」
 
 大山氏の葬式を見て「いや高きその名は四方に橘のちりし軒端を思いこそあれ」
 
 当時の情景と真澄の心情が伝わってくるようです。
2012年5月掲載

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