本文へスキップ

歴史を知る

江戸時代からの街並み

画像:江戸時代からの街並み

 江戸時代、佐竹家一門(血族)の大山氏をはじめ、佐竹家・大山家の家臣が住んだ内町・御屋敷地域には、江戸時代の絵図が残っています。秋田公文書館所蔵の『院内一円絵図』を見ると、大山氏の居館の位置や道路、家臣たちの家並みまできちんと載っているのがわかります。この絵図の道路や街並みは、現在の地図でもどこがどの道路だったのか、素人目にもはっきり分かるほど街並みが残されているのです。 

 内町・御屋敷地域のあるここ院内は、秋田藩の藩境にも近く、院内銀山を擁するため秋田藩でも重要な地域でした。そのため、一門の大山氏を封じているのです。そうした武家町の特長として院内川を堀に見立て、万が一外敵が攻めてきたときの備えが随所に見られます。
 
 内町・御屋敷地域には今でもその名残がしっかりと残っています。クランク状に折れ曲がる道は「枡形」といって、敵が一気に進んでくるのを防ぎ見通しを効かなくするためのもので、地域のいたるところにこのクランク状の道路が現れます。また、廃城とはなったものの、近くには館山という城跡、そして現在は瀬戸山公園になっている大山氏の邸宅の一部も、守るのに都合のいい小高い丘に置かれています。
 
 また、大山氏の邸宅の大きさを今でも感じられるのも昔の街並みが残っているからこそで、院内小学校の裏から橋を渡って降木(ふるき)神社に向かう道路は、2か所でクランク状に折れ「枡形」になっていますが、古地図によるとちょうどこの枡形に囲まれた部分が、大山氏の邸宅があった場所となっています。
 
 実際にスタッフが歩いてみるとその長さ約100mであり、古地図が正方形になっているので単純計算で約1ヘクタール、かなりの広さのお屋敷があったことが伺えます。
 
参考文献
『歴史を刻む「銀山と関所」の町 院内』 院内銀山史跡環境整備実行委員会
2012年5月掲載

ページ上部へ戻る