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歴史を知る

大屋納豆の歴史

画像:大屋納豆の歴史

 秋田県は「納豆発祥の地」と言われていることをご存じでしょうか。平安時代後期、後三年の合戦(1083年~1087年)の際、陸奥守(むつのかみ)源義家は豪族・清原家衡に戦いを挑みました。ところが現在の横手市付近で大雪に見舞われ足止めされてしまいます。困った義家は、付近の農民に煮大豆を供出させました。時間がないので藁で作った俵に入れ、行軍のうちに発酵して糸を引き、香り高い納豆になっていた。おそるおそる食べてみたら美味しかった……という伝説が残されています。江戸時代の紀行家、菅江真澄により、献上したのは安田村(横手市安田)の住人であったという記録が残されています。
 
 「納豆発祥の地」は全国に諸説あり定かではありませんが、歴史ロマンが感じられる逸話ではないでしょうか。
 
 大屋地域は農家の副業としての納豆作りが盛んで、「大屋の納豆売りばっぱ(婆)」は地域の風物詩となっていました。戦前、およそ70軒あった納豆を作る家も、戦後35軒まで減少してしまいました。昭和20年代に入り、国内で発酵容器のサルモネラ菌による納豆の食中毒が発生し、藁苞(わらづと)の殺菌工程が義務づけられるようになりました。
 
 家内工業による生産への目が厳しさを増してくる中、農薬の普及により藁の利用が難しくなっていったことも重なり、昭和50年には地域で納豆を作る家はなくなってしまいました。
 
 平成20年(2008年)、地域おこしの一環として大屋納豆の復活が試みられました。「作り方を知る人がいるうちに復活させたい」と元高校教諭の戸田義昭さん(とだ よしあき)ら地域住民が「大屋納豆再生実行委員会」を結成し、地域のお年寄りにアドバイスをもらいながら試作に挑みました。
 
 農薬を使わず育てた古代米のワラを用意し、大豆は地元横手産を使用しました。ワラの中で納豆が乾いてしまうなどの失敗もありましたが、約半年後、ついに成功します。
 
 かつて大屋納豆を作っていた横手市大屋新町の笹山チヤさんは、「今、作り方を若い人たちに伝えなければ、地域の名物が途絶えてしまう」と、地域に伝わる作り方を伝授した一人です。 笹山さんが60年前に嫁いだ農家は、長年、大屋納豆を作っていました。出来上がった納豆をかごに入れ、姑が朝早く行商に出かけました。姑に習い、25年ほど納豆作りを続けましたが、水田に農薬を使うようになったため稲藁が使えなくなり、笹山さんの家では昭和50年(1975年)頃納豆作りを断念しました。
 
 大屋納豆の作り方は、まず大鍋で大豆を煎り、ヒビを入れます。臼で挽き、蒸し上げて藁苞に入れて二晩寝かせると、ひき割りの大屋納豆が出来上がります。現在も全国トップクラスと言われる秋田県民のひき割り好きは、こういった伝統からも受け継がれていると言えるでしょう。出来上がった納豆は、笹山さんも納得する懐かしい味でした。炒ってから蒸すので香ばしさが増すのだと言います。
 
 「大屋納豆再生実行委員会」では、作り方をDVDに残し、後世に伝えようとしています。
 
2013年8月掲載
■参考資料
読売新聞 2008年11月25日朝刊 秋田県版

横手市『横手市史』 

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