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歴史を知る

大沼と菅江真澄

画像:大沼と菅江真澄

 江戸時代の紀行家として知られる菅江真澄は、文政9年(1826年)の5月下旬に仙北郡の境村(現在の大仙市協和境)から村を巡りはじめ、7月7日に小種村へ移ったとされています。真澄は、小種地域の名前の由来を、「小種は「蚕子(こだね)」のよしにて、「蚕紙(こがみ)」を産したことだろうか。また、小田根のことかもしれない。いずれ蚕葉(こがい)、田業(たつくる)によれる村名であろう。」つまり、蚕、養蚕に関係した村の名前だろう。と書き綴っています。そして、その後真澄は、上野村から新田村、小種にわたって広がっていた「大沼」へ訪れました。

 大沼を訪れた真澄は、小種村で宿泊していた加藤家の加藤里正の案内で菱船(沼に生えるひしの実を取る船)に乗って沼を遊覧しています。

 当時の大沼は、蓮やじゅんさい、ひしなどの花々が水面いっぱいに咲き誇り、真澄が「言葉では表すことができない。」と綴っている事から、大変美しい景色を誇っていたことが想像されます。

 この大沼は、大沼干拓が行われる前に訪れたもので、現在の大沼は協和町随一の小種干拓地に変わり、秋は黄金色の稲穂が揺れる美しい田園風景となっています。

2011年4月掲載

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