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歴史を知る

赤館~40人の関ヶ原~

画像:赤館~40人の関ヶ原~

 



 慶長5(1600)年、関ヶ原で徳川家康方と石田三成方の双方合わせて16万ともいわれる軍勢が激突しました。良く知られた関ヶ原の戦いです。
 
 さて、東北地方では時を同じくして一つの関ヶ原が行われました。こちらは大河ドラマなどで知られるようになった、上杉家と最上家の激突、いわゆる「慶長出羽合戦」です。

 そのさなか、ここ、上笹子地域で起きた、わずか40人の戦いがありました。矢島城主、大井五郎満安が西馬音内城で無念の自刃をしてからしばらく後、天下分け目の戦乱に呼応し、大井家の遺臣金子安部は、不遇の死を遂げた主君の旗を再び矢島地方に掲げんと、亡き主君の忘れ形見「鶴姫」を立てて決起します。

 一旦は八森城を奪還するものの、40人では攻囲の勢力にかなうはずがありません。慶長5(1600)年9月上旬、徳川家康が石田三成と激突する直前、金子たちは上笹子赤館に籠城します。

 それを包囲するのは、各地から攻めよせる出羽地域の徳川方諸将率いる軍勢。その数は約5千と伝わっています。

 9月12日未明、攻囲側は大兵をもって三方から赤館を攻め立てますが、金子たちは勇戦奮闘します。その勇戦に敵軍すらも感銘を受けるものの、多勢に無勢。劣勢を覆すことはできませんでした。

 落城した日付は9月15日。奇しくも関ヶ原の決着がついた日でした。
 
矢島地方にその名を轟かせた武勇無双の大井五郎の物語と鶴姫の悲劇は、鳥海の山伏たちにより「黒百合姫物語」として今に伝えられています。
2010年12月掲載

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