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歴史を知る

鳥海山の歴史

画像:鳥海山の歴史

 
「秀麗無比なる鳥海山よ――」、秋田県民歌はそう呼びかけて始まります。随筆『日本百名山』の連載初回を飾った涼やかな山容、東北第二の標高から「出羽富士」とも呼ばれて仰ぎ見られる名峰です。

 平安時代、鳥海山は「正二位」の高位に叙せられています。山上には国の守護神・大物忌(オオモノイミ)が宿り、噴火は神威によるものと信じられていた頃です。東国平定の前線を北上させていた朝廷は、火山の鳴動を蝦夷(エミシ)反乱の前兆であると恐れ、山神の怒りを鎮めるために次々と神階を贈ったのでした。
 そうした山岳信仰が基になり、「鳥海修験道」が興ります。系統を異にする験者(ゲンザ)が各登拝口に分かれて集まり始め、それぞれに栄えていきました。
 時代が下ると共に“鳥海山のお山詣り”には多くの人々が訪れ、山行をする際に泊まる宿坊として、修験寺院が充てられるほどの賑わいを呈します。
 当時の雰囲気をうかがい知る手がかりに、京都の三宝院からこの地にやって来た“本海行人”の逸話が残っています。芸能に秀でた僧・本海は村々を巡り歩いて番楽・獅子舞を伝授しました。民衆はこれを宝物のようにありがたがって盛んに演じ、信仰上の理由から外部に流出するのを嫌ったと云います。指定書は地名を演目に取って独自性を持たせた珍しい様式で、現在は「本海番楽」と総称されて、県無形民族文化財の指定を受けています。
 歴史もさることながら、鳥海山の魅力はやはりその美しさです。生涯のうち40年以上を旅に暮らした菅江真澄(江戸時代)は、「富士山に似た山は数多いが、鳥海山こそ最高のものだ」という感想を書き留めています。
 裾野は浜辺まで伸び広がり、山頂は海岸線から16kmの至近距離――。孤峰が空と海とに抱かれてそびえる壮観は、見る者のため息を誘わずにはいません。天候によっては、青く浮かぶ稜線を県内の広域から眺めることができます。
 舌も楽しませてくれるのが鳥海山です。山麓や付近の海底から流れ出す膨大な量の伏流水は、ミネラル分をたっぷりと含み、美味・上質の産物を育む源になっています。米・酒・岩牡蠣など、その恩恵は人々の暮らしを長く潤してきました。
 「――山水皆これ詩の国秋田」、秋田県民歌はこう謳い上げて結ばれています。
 
 
■参考文献
『鳥海町史』
2010年4月掲載

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