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歴史を知る

金子梅仙和尚と庵寺(あんでら)

画像:金子梅仙和尚と庵寺(あんでら)


  横岡集落の中ほど、高橋商店から小学校跡へ向かう道から右に入ると、小さな公園と会館風の建物が見えてきます。

  建物の側にある看板には「龍解山 玉清庵」と書かれています。この建物が出来たのは昭和57年ですが、それよりずっと前からここには尼僧さまが代々住み、集落の皆さんの信仰の支えとなってきました。

  尼僧さまは「あんじゅさま」と皆に呼ばれて親しまれていました。今の自治会の役員の方々も、小さい頃「あんじゅさま」の所で手伝いをすると、「甘い砂糖湯や桜湯なんかを楽しみにしていた。」と当時を懐かしく語ってくれました。

  「あんじゅさま」は何人もいらっしゃいますが、最後のあんじゅさまは梅仙(ばいせん)和尚といって、県外から赴任してきた方だと言います。長いこと庵を守ってきましたが、平成7年に94歳でその生涯を閉じました。

  その後の庵寺(あんでら)の管理は、有志一同が集まり、ボランティアによって行われ、梅仙和尚さまの供養と寺の清掃が行われています。正月16日の庵寺まいりも、毎年欠かさず行われています。

  庵寺の中にもその歴史の分だけたくさんの逸話が残っています。
  庵寺内には百柱以上の位牌が安置されていますが、これらほとんどは病気などで若くして死んだ子どもたちや戦争で若い命を散らした方々の位牌です。ここで「あんじゅさま」にお経をあげてもらい、庵寺で供養してもらうのが習わしとなっていたそうです。

  また、本尊を挟んで位牌と反対側にあるのは「延命地蔵」と言い、元は横岡集落の住民の方が、奈曽の白滝から拾い上げたものだそうですが、あまりに怖い顔のために、家に置いておけなくなり、庵寺へと持ち込んだものだそうです。

  地域に根差して頼りにされているのが良く伝わってくるエピソードが残る「庵寺」。横岡集落の大事なお寺として、「あんじゅさま」の遺志を継ぎ、住民たちが今も守っています。

【産地直送ブログ】
横岡の砂防ダムと庵寺(あんでら)(平成23年12月掲載)
 
2011年4月掲載

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