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歴史を知る

打越(うてつ)氏の歴史

画像:打越(うてつ)氏の歴史

戦国時代、由利本荘地域は「由利十二頭」と呼ばれる豪族たちによって分割支配されていました。十二頭は、時に連合し、時に反目しあい、周囲の戦国大名たちの影響も受けながら、由利地域に勢力を保っていました。
赤田地域を治めていたと言われているのが、大内一帯を治めていた「打越(うてつ・うちこし)氏」、現在でも「北内越(きたうてつ)」という赤田を含めた地域名にその名残が残されています。

内越地域は、慶長七年(1602年)最上領となり、最上家の家臣に接収されます。このとき、接収を良しとしない人々が、赤田の館群にこもって応戦したとも言われています。

当時、赤田地域には五つの館が存在すると言われ、そのうち三つは『秋田県の中世城館』にも掲載され、この由利接収の際に抵抗拠点として使われたのではないかと言われています。「巣子(すこ)館」、「亜久根館」、「後田館」は、由利接収の際に実際に攻防戦が行われたと考えられています。それらを次々と落とされた打越氏は、最後の砦として亜久根館へと立てこもります。
激戦の末、最上氏に領地は接収されてしまいます。亜久根館の近くにある「首塚」はこのときの戦死者を埋めたと伝わります。また、胴体は別の沢に捨てられたと言われています。

また、残り二つの館「山田館」「坂巻館」については、詳しい資料が残っておらず、地名研究会の方々が聞き取り、現地調査などを続けています。
「坂巻館」は念仏郭(ねんぶつくるわ)と呼ばれる場所があり、たくさんの石碑が残されています。現在は道路拡幅によって石碑は県道沿いに下ろされており、力強い石碑群を間近に見ることができます。

2011年12月掲載

■参考資料
『秋田の中世城館』秋田県教育委員会
『赤田遺産』赤田地名研究会
『由利郡中世史考』姉崎岩蔵
『本荘市史』
 

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