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語りを聞く

一人一人の住民が地域を守る「火の用心」

画像:一人一人の住民が地域を守る「火の用心」

 西野地域では昭和38年(1963年)からずっと「火の用心」が行われています。
夜にカチカチと拍子木の音が聞こえると、地域の方は自然と「火の元に気をつけないと」という気持ちになると言います。
 
 火の用心は昭和6年(1931年)から、当時の「大川尋常高等小学校」の「少年赤十字団」の事業の一環として子供たちによって行われていました。毎晩グループで地域を回って火の用心を呼びかけ、毎月1日と15日には拍子木と錫杖(しゃくじょう)を持って地域を回ったと言います。
 昭和22年(1947年)、学校へは西野地域から40人の子供が通っており、この頃から外回りだけでなく、かまど検査(火の元検査)が始まりました。火の元検査は主に中学生が担当して行われていました。
 昭和30年(1955年)に西野地域のある大川村は近隣の村と合併して五城目町になり、その頃から「夜に子供たちが外を回るのは危ない」と話題に上るようになりました。
 こうして、昭和32、33年頃、小学生での火の用心活動は途絶えてしまいました。
 
 小学校での火の用心活動が途絶えてから5、6年が経った、昭和38年(1963年)、西野地域で火災が起こり、その火災は悲しい結果をもたらしました。
 当時、五城目町の消防署員であった千田安太郎(やすたろう)さんは、「子供たちが行っていた火の用心をもう一度復活させよう」と考えました。その頃、全県で火災予防組合が設立されたことも契機となって夜警が始められ、この夜警が今の火の用心へと繋がりました。
 火の用心が復活してから50年間、西野地域では火災が一度も起きていません。
 千田さんは、「火の用心の当番が回ってくることによって責任感が出て「自分たちの地域を守る」という気持ちがますます染みついてきたと思う。次の当番に回す時に交流があることによって、連帯感が生まれる。」と話してくれました。
 高齢の方がお隣に住んでいる方は、「火の用心の道具を回すと同時に見守りが出来る。」と話していました。
 西野地域の火の用心は体調や天気などを考慮し、一人一人が無理をしないように行っていますが、回れない時は火の用心の旗を自宅の門などに立てておくそうです。
 
 「西野地域を守る」その思いを地域全体に伝えるように、今日も地域内に拍子木の音が鳴り響きます。
 

2014年6月2日掲載 

【産地直送ブログ】
町内に響く拍子木の音 五城目町・西野地域で行われている「火の用心」にお邪魔しました!(2014年5月掲載)
 

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