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歴史を知る

内川こどもささら

画像:内川こどもささら

  五城目町内川地域に伝わる「内川ささら」は、何度も存続の危機がありながら、現在では「内川こどもささら育成会」の継承活動のもと、小学生によって受け継がれている内川地域の伝統芸能です。

 内川こどもささらは「奴(やっこ)踊り」と「獅子踊り」の2編成で、全部で10種類の舞があります。奴踊りには「さんばそう」「ながさき」「おがみおどり」「すもうおどり」「にびょうし」「やなぎおどり」「きりおどり」「さんびょうし」「もみじおどり」の9種類あり、毎年5月5日に内川地域で行われる祭典や、10月に行われる「地区文化祭」などで子供たちが舞を披露し、地域の大人たちの心を和ませています。
 
 そんな「内川こどもささら」の始まりは平成6年10月、内川小学校での取り組みの「ふるさと学習」の中で行われた「内川ささら」の継承活動からでした。
「内川ささら」は、元々は大人たちの舞いでした。その「内川ささら」を子供たちでも踊れるようにと、「内川こどもささら育成会」と子供たちが力を合わせ、2時間かけてようやく1分程の舞を創り上げていきました。こうして「内川ささら」は「内川こどもささら」へと姿を変え、子供たちに継承されたのでした。
 
 「内川ささら」が大人たちによって舞われていた大正末期頃、内川地域ではもちろんのこと、他の村祭りなどでも舞を披露するほど盛んに行われていました。しかし、戦争や青年会の衰退などにより、何度も姿を消しては地域の方々の頑張りによって復活を繰り返していました。
 最後に「内川ささら」がその姿を消したのは昭和60年頃。昭和51年に内川青年会が立ち上げた「ふるさと運動」により、「内川ささら」を復活させた約10年後のことでした。
しかし、その2、3年後、「内川ささら」に転機が訪れました。
 
 東京都千代田区との姉妹提携による千代田区の伝統芸能「神田明神将門太鼓」との交流が行われ、神田明神将門太鼓の指導により五城目天翔太鼓が生まれました。その五城目天翔太鼓の「風土心」という組曲の「土」という曲に「ささら」の中で踊られる「獅子踊り」が組み込まれ、和太鼓とともに舞う「新しいささら」が誕生したのでした。
 
 こうして、平成6年、子供たちに継承された新しい「内川ささら」は、平成7年8月の「きゃどっこ祭り」で約8年ぶりに舞われました。この時、子供たちは保護者手作りの台車に乗り、光のパレードを行いました。その年の10月には内川小学校120周年記念文化祭で披露され、内川小学校の歴史に「内川こどもささら」が加わりました。
 その後、内川小学校は135年という長い歴史に幕を下ろしてしまいましたが、校舎は地域の生きがいセンターとして利用され、子供たちが「ささら」を練習する場として活用しています。現在「内川こどもささら」は内川ささら保存会の指導のもと、その伝統は途絶えることなく継承され続けています。
 
 「内川こどもささら育成会」の澤田石清樹さんは、「地域の方や学校関係者の協力があり、そして、子供たちあってのささらだと思っています」と話し、たくさんの協力に感謝していると笑顔を見せました。
 
 地域の伝統芸能「内川こどもささら」を継承していく子供たちは、これからの内川地域の力となっていくことでしょう。

2012年5月掲載
【産地直送ブログ】
●平成24年

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