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歴史を知る

渡部斧松

画像:渡部斧松


1793年、現在の能代市桧山に足軽の子として斧松は誕生しました。

斧松は、誰一人として成功し得なかった男鹿の鳥居長根(現在の若美町長根)の土地の開墾をしたとして知られています。当時の鳥居長根は耕地が不足しているうえ、土地がやせていたため、村人は出稼ぎ等をして貧しい生活を送っていました。

これを受け、鳥居長根の開墾を藩に願い出て許可を出された叔父の惣治とともに、斧松も開墾に尽力することになりました。しかし、斧松の叔父は工事半ばにして病死してしまうのでした。斧松は、鳥居長根の開発にあたり、干ばつの時でも涸れることがなかった、鮪川の滝の頭を水源に定めました。
 
 滝の頭から鳥居長根までは8キロほどあり、火山灰で崩れやすい砂土に水を通すためのトンネルを掘るのは困難を極めました。掘った先からまた崩れ……という途方もない作業を繰り返しているうちに、雇っていた人夫達は何日も経たないうちに斧松の元を去って行きました。
崩れ落ちる土砂の中、斧松は自らの腰に縄を結び、「もしも土砂に埋まって死んだら、この縄を頼りに死体を引きあげてくれ。」と言いながら一人でトンネルを掘り続けました。
そんな斧松の姿に人夫達は心を動かされ、多くの人夫が斧松に協力をし始めました。
 
 そして、工事開始から5年、鳥居長根の土地は滝の頭の水で潤ったのでした。
斧松の命を懸けた努力と人々の協力により、鳥居長根の開墾は次々と進んで行きました。
 
 やがて、鳥居長根には移住民が増え、斧松は佐竹藩に新しい村を建設することを願い出ました。
そして、新しい村の建設が許された斧松は新たな村に「新生渡部村」と名付けました。
その斧松の功績は地元の農民や藩から高く評価され、その後も開拓、新村建設や農村の復興救済事業など、多方面にわたり活躍しました。
 
 
 
2011年4月掲載
■参考文献
『郷土の先人たち』 能代市山本郡校長会編

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