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歴史を知る

米田の菅江真澄

画像:米田の菅江真澄

 江戸時代の紀行家として知られる菅江真澄は、享和2年(1802年)49歳の頃に米田地域が属する、藤里町を訪れました。秋田藩主9代目の佐竹義和は、真澄と会い、領内の地誌作成を依頼して紀行をさせています。真澄は各名所を廻り、スケッチ36枚、17首の詩を詠んでおり、藤里町の歴史的な証にもなっています。

 
 真澄が綴った『しげき山本』には藤琴村から湯の沢温泉、滝の沢、十六貫山、真名子、太良鉱山、不動の滝、米田、萱沢を巡り、また太良鉱山に戻り、滝の沢の滝を見た後、大滝へと向かったことが綴られています。
 
 藤琴は、現在の藤里町のことで、藤琴の名前の由来を真澄はこう綴っています。
「昔、大きな桐の木があって、これに藤がからまって倒れそうになった。村人はこれを見て桐を切り、琴を作って殿様に献上した。この木を倒した所に祠を建てて「藤権現」として末の世まで祀り、村の名も藤琴としたという。」
この他にも、湯の沢温泉、滝の沢の滝などで藤が織り成す情景の美しさに触れています。
 
 米田地域もほぼ全域に訪れており、それぞれの地域での紀行文を残しています。

真澄は米田の奥に位置する萱沢村で、他の杉とは様子が違う杉を発見しています。
この杉の木は「アオヤジロ」という、枝先の葉が黄金に輝く幻の杉の木で、現在も変わらず藤里町にあります。
また、真澄はそのアオヤジロの木を見て「生い茂る梢にまじる蒼社(アオヤジロ)いく世を杉の たてるなるらむ」と句を詠んでいます。
 
 米田には真澄の歌碑が2か所にあり、真澄がその時感じた気持ちや情景に触れることが出来ます。その歌碑には、このように書かれています。
「山かげに 佃る よね田に 風おちて 涼しくわたる川ぞいのみち」
この句は、日が陰るころ、米田のたんぼにもそよ風が吹き、川沿いの路はとくに涼風が渡ってくる。という意味の句で、米田の豊かな田んぼの情景が目に浮かびます。
もう一つの句では「山ふかき たきのかげみち 行人のぬれて涼しく 麻のさごろも」と詠んでいます。素波里不動滝は、滝の裏を通ることが出来るため、その滝の裏の細い岩路を歩いている人の着物の裾が濡れているのがとても涼しそうだ。という意味を表しています。
 

 そして県道317号沿い、藤里町の入り口付近にある直売所には、真澄について詳しく書かれた大きな看板が設置されており、真澄が歩んだ道を知ることも出来ます。

2011年4月掲載

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