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歴史を知る

常盤と菅江真澄

画像:常盤と菅江真澄


江戸時代に秋田県中を旅した紀行家菅江真澄ですが、ここ常盤地域へは文化4年(1807)の4月下旬(現行暦の5月末)に三日間滞在しています。現在の八峰町峰浜より来て南北に行き来し、二ツ井へ向かったという足どりでした。通った地名から、真澄は現在の県道63号とほぼ同じルートを通って南下し、常盤地域へ入ったものと推測できます。初日は米代川の近くにあった、当時の常盤村で宿をとりました。

 
二日目は晴天に恵まれ、また大柄の滝の話を聞いた真澄はこれを見にいこうと出かけました。北上して大柄村に入りますが、ここまでに咲き乱れた藤の花の美しさを何度も述べています。大柄村では、藤の木陰に薬師仏の御堂があり、このほとりに冷泉が湧いて水硫黄(湯の花)が流れていたようです。田植えの終わった人々が木を焚いて冷泉を沸かし、大勢で入浴するという慣習が慶安・承応(1650年頃)より始まったと記述されています。現在では以上のように利用されてはいないものの、この硫黄泉が今も流れているのは確認されています。
 
三日目になって、案内人とともに大柄村からさらに奥へ進み、大柄の滝に到着します。女滝からは木につかまったり岩に足をかけたりして崖を上り下りし、やっとのことで男滝にたどり着いたといいます。真澄はこの時すでに50歳を超えていましたから、相当に苦労したことが想像できます。滝は、提(ひさげ。注ぎ口のついた容器)から水をこぼしたように落ち、山風に吹かれて軒から流れ落ちる雨だれのように岩面にかかっているところもある、と述べています。岩屋はとても広く、1000人も隠れられそうなほどで、また岩の隙間にはあちこちでアマツバメが巣を作り、大変多く群れていたといいます。
 
この三日間の紀行については、『雄賀良能多奇(おがらのたき)』の中に見ることが出来ます。この書には常盤以外にも、八峰町の手這坂の桃源郷を始めとして他の地域の紀行文も収められていますが、おそらく「大柄の滝」から取られたであろう書名からも、真澄はこの滝に何かしら特別な思いをもっていたのかもしれません。
 
■参考文献
『秋田叢書別集 菅江真澄集 第三』(深沢多市)
『菅江真澄遊覧記 4』(平凡社)
『常盤のむかし』(常盤の歴史を語る会)

2011年4月掲載

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