手倉、椿台地域には古のブナ道「仙北道」があります。
この仙北道が縁で、歴史街道による地域づくりを話し合う、とうほく街道会議が東成瀬村で開かれました。
取材班は、2日目のBコース「仙北道を学ぼう」へと参加してきました!
Bコースは仙北道、それに関連する史跡、名所などを巡るバスツアーです。
実は、本格的な登山を伴う、Aコースの予定もあったのですが……。
雨でコース短縮になってしまったので、せっかくだから、
まだ見ていない仙北道遺跡を見よう! とBコースへと参加しました。
出発前にちょっと珍しかったのが、いただいたこの「くさもち」
「ごぼ葉(オヤマボクチ、山ゴボウとも)」の葉っぱをいれてるんだそうです。
まずは田子内橋、昭和初期のコンクリートアーチ橋ですが、
当時の先見の明をもった方たちの尽力により、車も通れる丈夫な橋がかけられました!
また、平成に入ってからは、その珍しいコンクリートアーチが文化財として認められ
取り壊されずに、大事に補修されて橋としての使命を果たしています。
続いては、不動滝。
ここは、仙人修行のイベントが行われる場所でもあります。
そして、椿台のお隣、手倉にある「手倉御番所跡」。
仙台藩との山越え街道であった仙北道は、この番所で行き交う人々、物品をとりしまったのです。
そんな厳しい取り締まりと、役人の人情を伺わせるのが「首もげ地蔵」。
関所破りなどの罪人は、斬首されるきまりです。
罪人は、斬られる前にこの地蔵の前で念仏を唱えるのが習わしだったと言います。
罪人が必死に念仏を唱える中、役人が斬ったものは地蔵の首、
その首は沼に落ちて見つからなかったそうです。
また、藩を追放となったものが縄を解かれるのもこの仙北道、手倉越の入り口でした。
そこで役人は「左に行けば仙台、右に行けばぐるっと回って戻ってきてしまう」
「絶対に右に行くなよ、いけば戻ってしまうからな」と、なんども右を、秋田藩の方向を指さしたそうです。
それこそ、罪にもよるのでしょうが、もしかしたら冤罪や止むに止まれぬ犯行だったのかもしれません。
役人の優しさが伝わるエピソードです。道標も、首もげ地蔵のすぐとなりにありました。
歴史を感じられるバスツアー、勉強になりましたっ!