10月18日(日)、羽後町・堀回地域に行ってきました!
この日は県指定史跡「西馬音内城址」を巡る交流会が開催され、
取材班も中世の山城の散策に参加してきましたよ。
西馬音内城は、中世、この地を治めた「小野寺氏」の居城です。
建治3年(1277年)、現在の元西小学校が建っている場所に作った山城で、
戦国時代、由利方面の抑えとして重要な役割を果たしました。
こちらの記事に詳しく記載されているので、ご覧ください♪
→西馬音内城址(元気ムラサイト記事)
集合場所は元西小学校。
学校の入り口には昔懐かしい赤いポストがお出迎え♪
昨年、国の事業を活用し、堀回地区コミュニティ推進委員会が
砂利を敷いて散策路を整備しました。とっても歩きやすい♪
左の写真は「十三森塚」。昔のお墓跡と考えられています。
火伏の神を祀る愛宕神社跡や、御隅櫓跡などポイント毎に
堀回コミュニティの金事務局長の解説を聞きながら本丸を目指します!
家臣の住居跡と考えられる「二の丸跡」に向かう途中には
絶景ポイントも。梺(ふもと)集落を見渡せます♪
左の写真は戦勝祈願の八幡神社。
さらに、二の丸から本丸に向かうと……
巨大な穴が!
これは井戸の跡と考えられていて、
底には「銀の茶釜が埋められている!」なんて伝説もあるそうです。
こちらの写真、左下のあたりに標柱が見えます。
↑ズームアップで撮影。
西馬音内城主・小野寺茂道の娘婿「大井五郎満安」が
身の潔白を示すため自刃したと言われる場所です。
このエピソードは、下記のブログで詳しく紹介していますのでご覧ください。
→大井五郎満安という武将 ~4つの地域を訪ねて~
本丸付近に設置された標柱です。
西馬音内城なのに、なぜ「お」なんでしょう?
それは、この城を地元の人が「小野寺城」と呼ぶからなんです!
小野寺氏が地元の皆さんに親しまれていることが分かります。
堀回地区コミュニティ推進委員会では西馬音内城址についてまとめた
パンフレットとガイドブックも制作しています。
昨年、散策路を整備したことで、秋田県内の歴史愛好家に加え、
全国から見にくる人が増えているそうです。
なんと北海道、東京、千葉、神奈川、兵庫、広島から城跡ファンが訪れており、
これは昨年まで無かったことだとか!
今後も、西馬音内城址を訪れる人が増えそうですね!
堀回地域の交流会はまだまだ続きます!後編をご覧ください♪
●おまけ
散策途中、美味しそうなきのこや、食べられなさそうなきのこ(^_^;)の姿も。
ミズのコブもたくさん!
地元のお母さんたちが「あわっこ、ばんばけえこと!」と話していました。
「あわっこ」とは、イグチ科のきのこだそうです。
広葉樹も黄色に染まりつつありました。
この日は日差しが強かったのですが、木立が日差しを遮ってくれるおかげで、
とても歩きやすい西馬音内城なのでした♪