3月31日(月)に、五城目町・西野地域で行われている「火の用心」にお邪魔しました。
私、らびは幼い頃に両親と一緒に拍子木を鳴らして町内を回った記憶があります。
夜の町内は昼と違って静まりかえり、拍子木の音がよく響いて、
ちょっぴり緊張しながら回ったものでした。
火の用心は今でも継続して行っている地域は徐々に少なくなってきているといいますが、
西野地域では昭和38年(1963年)から継続して行われています。
火の用心は昭和6年(1931年)から、当時の「大川尋常高等小学校」の
「少年赤十字団」の事業の一環として子供たちによって行われていました。
学校に通っていた西野地域の子供たちも地域内を回り、火の用心を呼びかけていました。
当時は、拍子木だけでなく、錫杖(しゃくじょう)も持って回ったと言います。
しかし、昭和32、33年頃、「夜に子供たちが回って歩くのは危ない」という理由で
火の用心活動は途絶えてしまいました。
それから5、6年後、西野地域で起きた火災をきっかけに、
当時五城目町の消防署員を務めていた千田安太郎さん(西野地域)が、
子供たちが行っていた火の用心を復活させました。
昭和38年に火の用心を復活してから、西野地域では一度も火災が起きていないそうです。
今回は、西野老人クラブ会長の小玉賢一(けんいち)さん(写真右)と、
当番の佐藤優(まさる)さん(写真左)と一緒に火の用心の様子を取材させて頂きました!
カチカチと拍子木の音が夜の西野町内に鳴り響きます。
まだまだ雪が残る五城目町は空気が澄んでいるように感じられます。
拍子木の音には「火の元に気をつけて、寝る前に今一度確認を」という
注意喚起の意味が込められています。
賢一会長が幼かった頃、火の用心の際に「かまど検査」が行われていたそうです。
昔は「かまど」で炊事をしていたため、炊事の後の火の始末が良いかを、1戸1戸確認していました。
当番が回ってきても、調子が悪かったり、天候が良くなかったり、
コンディションが良くない時は無理をせず、自宅の門に火の用心の旗を立てるなど
地域の方が無理をしない工夫も考えられています。
また、ご高齢の方が隣に住んでいる方は、
当番の道具をただ置いてくるのではなく
ひと言声を掛けるなどして、「見守り」もしているそうです。
お子さんが小さい時に、一緒に町内を回ったことが
思い出に残っていると話してくれた優さん。
お子さんとの思い出は、何にも代え難い宝物ですね!
以上、拍子木の音が鳴り響く西野地域から
広域連携推進員、らびがお届けしました!