本文へスキップ

産地直送ブログ

  • Home
  • 産地直送ブログ
  • 横手市・大屋(おおや)地域をめぐる(後編)歴史ウォーク「大屋の里巡り」

横手市・大屋(おおや)地域をめぐる(後編)歴史ウォーク「大屋の里巡り」

2012年11月6日

9月26日(水)の午後、大屋(おおや)地域を巡る歴史探訪が晴天の秋空のもと行われました!
歴史ウォークで訪れた大屋地域の魅力あふれる名所・旧跡をご紹介します!

和談の森・神明社鳥居


参加者は大屋地域の方々14名、ガイドは大屋梅保存会の戸田義昭事務局長が務めてくださいました。
歴史ウォーク開始前に戸田事務局長から、3つのポイント-神社と氏神、道元(曹洞宗)と親鸞(浄土真宗)の仏教思想の違い、大屋梅や納豆など大屋地域の特産品-について説明がありました。

戸田事務局長さん

ガイド役を務めてくださった戸田さんデス。

榮神社

まず最初に訪れたのは榮(さかえ)神社です。
榮神社の創建は大同4年(809年)と伝えられる由緒ある神社で蝦夷征伐の征夷大将軍・坂上田村麻呂が東征の際に三間四方のお堂を建立して聖徳太子を祭り祈願したという言い伝えがあります。
神社の参道の真ん中は神様が通る道なので、参拝者は端の方を歩くのが儀礼であると戸田さんからアドバイスがありました。勉強になります!

二平堂への坂道二平堂

榮神社に連なる丘を俗称で二平堂(にへいどう)・三平堂(さんぺいどう)と呼びます。頂上付近は平らになっていて、大屋地域の眺望が180度、眼下に広がります。ここからの景色は本当に美しいです!
東屋や忠魂碑があります。

二平堂からの眺望(パノラマ)

二平堂から見た「大屋の里」の大パノラマ!

栄小学校(パノラマ)

栄小学校は明治7年(1874年)、鬼嵐(おにあらし)地区の正伝寺(しょうでんじ)境内に「大屋学校」として開校しました。明治19年(1886年)に2校が統合して大屋新町小松原に移転し、明治22年(1889年)に町村制の実施により「栄小学校」となりました。
秋田杉を使った雁木造りの木造校舎で、学年ごとに入り口があるユニークな造りとなっています。また、日本一の規模を誇る木造校舎として見学者が現在も多く訪れるそうです。大きく立派で威厳すら感じる素晴らしい校舎ですね~。

御陣屋の茶屋跡

佐竹公が参勤交代の途中に休憩したご陣屋で「持田(もちだ)のお茶屋」と呼ばれていました。300年前の梅の古木が今も残っています!

和談の森(石段)

和談(わだん)の森とは昔、水利権などを巡って争っていた三村の住民が、この丘の上に集まり、仲良く付き合うための相談をしたそうです。その約束を誓い合ったこの丘を「和談の森」と名付け、神明社を建立して和睦の象徴としたそうです。
石段はかつて88段だったそうですが、現在は下の方の石段が地面に埋没して85段となっています。

和談の森・神明社(Gifアニメ)

石段を登り、鳥居をくぐると「和談の森」神明社です。

大屋梅の古木

持田地区の個人宅にある梅の古木です。樹齢は約500年!
例年早く咲き、テレビ局も取材に訪れるそうです。昭和49年(1974年)に横手市の天然記念物に指定されました。

長谷の七色銀杏長谷神社

長谷山観音寺(はせやまかんのんじ)の旧跡地にある樹齢千年を超えるといわれる銀杏の巨木です。七色銀杏(なないろいちょう)と呼ばれ、桜など七種の木が寄生していたと伝えられています。この木を撫でると母乳が出るという言い伝えがあり、参拝者が絶えませんでした。
周辺には氏神様が多く、かつては十二の神社が建っていました。現在は氏子の減少に伴い、神社の数も少なくなりました。

大屋沼

大屋沼(おおやぬま)は周囲4キロで長谷山の近くに天正年間(1573年~1592年)、周辺地域の水不足解消の為、大屋沼を造ったという記録が残っています。現在も農業用水として使われていて、近年まで横手鯉の養鯉場としても利用されていたそうです。
大屋沼南端から北東方向に東山道(とうさんどう)は北進していたと推測されています。11月3日の沼干しで沼底が現れると東山道の道跡が今も残されています。

大屋寺内方面

東山道は大屋沼の北端から北北西に向かい、大屋寺内方面に進みます。田んぼの真ん中付近を通っていたと推測されています。

大屋沼(パノラマ)

大屋沼を吹き渡る風に古の人々の息吹が感じられる神秘的な魅力にあふれる場所です。

正伝寺の楼門正伝寺

正伝寺は昔、大屋沼畔の長谷山観音寺跡地にありましたが、何度も火災に遭い、そのうちにお寺の名前も祝融山(しゅくゆうざん)正伝寺と改められ、現在の鬼嵐地区に移りました。宗派は曹洞宗です。
大州梵守(だいしゅうぼんしゅ)和尚が背負ってきた、京都長谷寺の三十三観音の一つといわれる聖観音像は正伝寺の宝物として県の文化財に指定されています。また、正伝寺は小澤征爾氏が演奏会を開催した古刹としても知られています。

正伝寺・楼門弥左衛門菩薩

楼門の鐘楼下には左右六体ずつの地蔵様がいます。向かって右側には伝説にもなっている弥左衛門(やざえもん)を弔う地蔵様がいます。六体の地蔵様のうち、中央の一番大きな地蔵様が弥左衛門地蔵といわれ「一刀清句信士」の戒名が刻まれています。

大屋舘その1大屋舘その2

寛正6年(1465年)頃、この地の豪族であった十代、小野寺泰道は息子の道壽を大屋舘(おおやだて)に居城させました。三角錐状の頂上に二の丸や四方約20メートルの主郭が置かれていました。道壽が大屋舘に居城してから人家も増え、田畑の耕作も盛んになったと伝えられています。天気の良いときは大屋舘から鳥海山も望めるそうです。

光徳寺光徳寺その2

光徳寺(こうとくじ)は大屋新町字中里にある浄土真宗の古刹です。天正年間(1573年~1592)年は、この地を治めていた豪族、小野寺氏に属した勇猛な僧侶がいたと伝えられています。
山号は新田山です。馬鞍(まぐら)から永禄年間(1558年~1569年)に現在地に移され、報恩講が行われていたそうです。現在、お寺の前はりんご畑が広がっています。

江津の梅(若木)

大屋梅(おおやうめ)発祥の地といわれる「江津(えづ)の梅」は元慶の乱(878年)のときに、鎮守府(ちんじゅふ)将軍の小野春風(おのはるかぜ)の家来として秋田に来た江津彦右衛門という武士が、自分の屋敷に一本の梅の木を植えたのが大屋梅の起源と言われています。残念ながら当時の古木は枯れてしまい、梅の古木は見ることが出来ませんが、孫梅といわれる若木が当時の様子を今に伝えています。

大屋梅梅林

大屋梅の梅林です。元来、大屋梅は屋敷梅が特徴ですが、今回の歴史ウォークでは正伝寺近くの大屋梅梅林を見学しました。

梅ひょうたん・その1梅ひょうたん・その2

乾燥させたひょうたんをなどに染色して、これから商品化を目指すそうです。ムラなく綺麗に色付けするのはかなり難しいとのこと。古来、ひょうたんの内部には精霊が宿るとか異次元世界があるという伝承・伝説があり、ひょうたんという入れ物を「閉じた宇宙空間」になぞって考えたのではないかと戸田さんは解説されていました。願い事を書いた紙をひょうたんの中に封入すると願い事が叶うという言い伝えもあり、悩みやストレスが「梅ひょうたん」で解消されるとしたら、それはロマンチックなお話ですね。

新奥の細道

大屋地域の名所・旧跡を巡る「歴史ウォーク」に初めて参加させて頂きました。2時間があっという間に感じられるくらい濃厚な歴史探訪でした!
魅力あふれる「大屋の里」をこれからも当ブログで取り上げさせて頂きたいと思います!

Author: | Category:10平鹿エリア, 大屋地域


カレンダー
2019年5月
« 4月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  
新着記事一覧
カテゴリー一覧
過去の記事
その他、RSSなど