産地直送ブログ初登場の地域をご紹介します!
横手市・大屋(おおや)地域は横手市街地から南へ、
奥羽本線柳田駅や国道13号線の東側に広がる地域です。
現在は、「大屋梅」「大屋納豆」などの特産品を活かした地域の活性化に取り組んでいます。
9月19日には、地域の神社「榮神社(さかえじんじゃ)」で「獅子祭りの神事」が行われました!
今回の見所は、古式に則った神事の数々ですよ~!
榮神社は大同4年(809年)の創建と伝えられ、1200年もの歴史を持つ神社です。
征夷大将軍 坂上田村麻呂公が聖徳太子の尊像を祀り創建したと伝わります。
今も「太子堂」と呼ばれ、江戸時代までは「宝龍山祝融寺太子堂」と立派な山号を持つ寺でした。
明応5年(1492年)には、三人の修行僧が聖徳太子像を奉納したと言われており、
これが現在のご神像になったと伝わっています。
戦国時代から江戸時代にかけて、この地を支配した小野寺氏、佐竹氏の信仰も篤いものでした。
江戸時代までは神社と寺の境が曖昧だったのですが、
明治の神仏分離令によって神社か寺かとハッキリさせなければいけませんでした。
また、明治時代は「廃仏毀釈」といって、
神仏分離令から過度に仏教を排斥しようという動きも見られました。
そんな中、太子堂も「大谷神社」と名前を変え、
続いて明治22年(1889年)、近隣の村が合併して「榮村(さかえむら)」になるのに合わせて
「榮神社」へと改称されました。
名前は変わりましたが、今でも「お太子さん」「太子堂」と呼ばれ、
また、その社殿はお寺の建築様式で建てられたままとなっています。
屋根の形、拝殿の形などがお寺の様式に則っているそうです。
今回行われる「獅子祭りの神事」で使われる獅子頭は、
この太子堂時代に二つあったものの一つです。
かつて、京都の厳島神社から頂いた物と伝わっています。
しかし、明治の廃仏毀釈のおりに散逸してしまい、
長く行方不明になっていました。
流れ流れた獅子頭はあるお寺に奉納され、
そこで檀家の一人の方が、大事に祀っていたそうです。
ある日、檀家さんの夢の中に獅子頭が現れ、
榮神社へ帰りたいと訴えたのだそうです。
こうして、獅子頭の出自が分かり、昭和26年(1951年)二頭のうち一頭が戻ってきたのでした。
その戻ってきた日が「9月19日」、この日に合わせて「獅子祭りの神事」が行われています。
参拝者の皆さんは、まずこのお地蔵様「源内地蔵」にお参りしてから参拝します。
さらに今回のお祭りは、榮神社境内にある「厳島神社」のお祭りでもあるので
こちらの「厳島神社」にも参拝して、いよいよ「榮神社へ向かいます」。
前書きが長くなってしまいましたがっ!
いよいよ神事が始まります。
今回の参列者の皆さんを見るとお分かりいただけると思いますが、
この神事は、女性の方達だけのお祭りになっています。
拝殿の中に移動しますよ~。
宮司の神原さんのお話によると「神事に手抜きしない!」のが自慢とのこと
こんなに神職の方々が集まったのを取材するのは久しぶりです。
笛と太鼓が賑やかに響く中、神事が執り行われます。
さて、いよいよお獅子さまが出てきます。
獅子舞は間近で見ることが出来るので迫力満点!
途中、お母さん方が布包みを取り出して獅子の前に置きます。
それを次々と獅子が噛んでいきます。
湯沢市・小野の「泉澤番楽」、羽後町・堀回「元城獅子舞」にも見られる所作ですね。
噛んでもらった物は、それぞれお守りとして身につけるなどするものだそうです。
参拝者の皆さんの頭を噛んで次の舞いです!
続いては剣を使った舞いです。
途中から二刀流でした!
そして、舞った方が三方を取り出して餅巻きです!
コレが結構盛り上がりました!
各地区の代表の方が玉串を奉納し、
最後にお札や御神酒などを頂きました。
そして、会場を移動して直会(なおらい)ですよ~!
茄子漬け、お味噌汁がとても美味でした!
また、地元のお母さん方から、大屋について様々なことを聞くことが出来ました!
今後、ガッツリと取材していきたいと思います。
この後、地元の方のご厚意で、近くにあった「ニヘイ堂」へと案内して頂きました。
大屋地域をずーっと見渡すことが出来る見事な場所です。
東屋もありますので、ゆっくりと景色を眺めることも出来ます。
西側に行くともうすこし高い場所があり「サンペイ堂」と呼ばれています。
こちらはやはり柳田駅や横手ふるさと村などがよーく見えます。
大屋地域、これからドンドン紹介していきたいと思います!