午前中の野焼きに続いて、5月17日午後から、にかほ市冬師(とうし)集落と冬師牧野農業協同組合の皆さんにより、3年前に植樹した桜やツツジなどの冬囲いはずしと、ワラビ生育のための試験区域設定の作業が行われました。
※にかほ市冬師・釜ヶ谷集落のページはこちら。
この日、午前9時から始まった野焼きですが、初めは前日の雨の影響のためか火の付きが悪かったものの、思いのほか火の回りが良くなり野焼きは午前中にほぼ終了。冬師集落の参加者は「農村婦人の家」に集まり、お母さんたちが作った昼食を食べて、一休みしました。
料理は、ゴマのついた三角おにぎりに、ワラビとガッコ(沢庵などの漬け物)と鮭の塩焼き、そしてお茶というメニューですが、ご飯のおいしいこと、おいしいこと。また、あきたこまちの白米に「ワラビタタキ」を盛った料理も「うめがった!」(秋田弁で美味しい)。
「ワラビタタキ」とは、ゆでたワラビを包丁でタタき、味噌と和えたものですが、それだけとは一味違います。お母さん方に聞いたところ、山椒の葉を擦ったのを入れているとのこと。それで、ふわっとした香りが出ていたのでした。あまりに美味なので、ついお代わりをしてしまいました~。
ワラビも新鮮で、元気ムラ取材班の「山菜大好き」さんは「柔らかいし、粘りがある。こんなに太くて、立派なワラビだ!!!」と感動していました。
一休みしたあと、野焼きが終わった冬師湿原に一同は車で向かいます。着いたのは『冬師山』の石碑がある「自然の郷冬師山」。扇谷地溜池を見渡すことができ、脇には牧野農業協同組合の設立経緯が刻まれた石碑が建っています。野焼きをした原野では、かつて馬の放牧が行われたことがあり、また組合員の中には溜池の向こう側の森で炭焼きをした人もいて、熊が沢沿いに出没する姿を見たと話していました。
お母さん方は、黒い帯を目の上下に巻いた「フクベ」姿です。鳥海山を背景に石碑とお母さん方が「絵」になっていて、思わずシャッターを切りました。この日は曇り空で、鳥海山の眺望はいまいちですが・・・。

石碑の周辺では、お父さん方とお母さん方が一緒になって、いずれも三年前に植えたツツジや桜、アヤメの冬囲いを外し、枯れ草を取り除くなどの手入れをしました。
桜は胸の高さくらいの樹皮が一様に野ウサギに食べられていましたが、それにも負けず枝を伸ばしており、そのうち一本だけは花も咲かせていました。大きくなった暁にはきれいに咲き誇ることでしょう。
冬師集落伝統細工制作グループの代表を務める佐藤クニ子さんは扇谷地溜池のほとりに一面に生えている「クゴ」を大事そうに見守ります。「クゴ」は、かつて雨具として着た「蓑(ミノ)」を作る材料で、8月頃に刈り取りします。一方、ツルバラのような姿で真っ赤な実をつけるイチゴが、そこかしこに生えていました。
※2011年8月31日の「クゴの刈り取り」の様子はこちら。
※2011年10月21日の「わら細工作り」の様子はこちら。
300ヘクタールもの広大な原野を野焼きしたあとには、ワラビなどの山菜が出てきます。雨の具合で時期は変化しますが、5月25日から30日ころまでにはワラビが芽生える予想ですので、ぜひワラビ採りを楽しんで下さい(入山料が必要です)。
この日、冬師牧野農業協同組合の組合員の人たちが、野焼きした一角に機械で杭を打ち込み、有刺鉄線を張り巡らす工事をしました。肥料をまくなどして、ワラビの生育具合を見るとのことです。「試験区域に設定したので組合員以外の立入りは固くお断りいたします」と大書した看板がありますので、生育を見守って下さい。
近くには、一面のミズバショウの中に、仏像の光背に似た「ザゼンソウ」を二株発見! ほかに黄色い花を咲かせて、おひたしにもなる「ヤツアザミ」やゼンマイも生えていました。
一帯は、鳥海山の噴火や山体崩壊、土石流や豪雨・洪水などによって大小の「流れ山」ができ、巨大な岩石がごろごろしています。でも、ミズバショウの群落がそこかしこにあり、湿地帯でもあるという不思議な光景が広がっています。
野焼きによって焼かれていない場所はミズバショウやハンノキが生えていて小さな沼などもあるのです。面白いですね~。
なぜかチョロチョロとせせらぎの音が聞こえるのを見ると、きっと地下では水脈がつながっているんだろうな~なんてことも頭をよぎります。冬師湿原の自然の妙味をのぞき見たようでした。
以上、雄大な鳥海山を目の前にして、野焼きによって黒々とした広大な原野と大小様々な「流れ山」が織りなす光景。それに、ミズバショウと山野草などに加え、ホトトギスなどの鳥のさえずりが聞こえてくる冬師湿原の魅力。それら自然を管理し育んでいる人々の営みの一端をお伝えしました。
※2011年5月20日の野焼きの様子はこちら。
心ゆったりする時間を過ごせること請け合いですので、ワラビの時期はもちろん、多くの方の訪れをお待ちしています!