地域のことは地域の人に聞くのが一番!
中でも「商店」は、地域のお宝話を高確率で仕入れることができる場所。
今回は、由利本荘市・上笹子地域にある1軒の商店を取材した際の
エピソードをご紹介したいと思います。
約1年半前、上笹子地域を調査していた取材班は、
野宅集落の「佐藤富次商店」を、ふらっと訪れました。
気さくに対応してくれたのは店主の佐藤富郎さん。
「こんな写真が出てきたんですよ」と1枚の写真を見せてくれました。
昭和53年ごろ、撮影されたもので、富郎さんが自宅を整理したら、
出てきた写真だそうです。誰が撮影したかは不明なのですが、
丁岳・五階の滝付近にあった温泉につかる人々が写っています。
今は、温泉は埋まってしまったそうですが、
地域の人たちが、和気あいあいと温泉につかるモノクロ写真に
取材班は、すっかり引き込まれてしまいました。
富郎さんから、もっと野宅の話を聞きたい!と、
再び野宅集落を訪れると……
なんと、富朗さんは、野宅集落の人々を集めてくれていたのです!
「村上さんの話だば、1日聞いても飽きない」とお母さんたちが言うほど、
お話し上手で、地域の歴史に詳しい村上広吉さん。
地域にある赤館や天神館といった史跡跡を鳥海町史の編纂に携わった人々を案内したそうです。
※写真は赤館近くにある金子安部太郎の墓碑
地域のことなら何でも知っている村上さんは、
江戸時代・天保年間に、笹子の人々が片道1カ月かけて
伊勢参りした時にもらったというお札を見せてくれたり……
野宅集落に伝わる「仁条上人」の存在を教えてくれたりしました。
京都醍醐寺から派遣された修行僧・仁条上人の来歴ははっきりしませんが、
南北朝時代の終わり頃に笹子に派遣され、
晩年は、野宅の三山(みやま)の洞窟で冥想にふけったそうです。
上人を慕った村人は、「仁条上人神社」を野宅に作り、毎年、豊作祈願の祭典を行っていました。
写真は、野宅集落で行われていた「仁条上人神社祭典」の様子。
この装束、笹子で9月に行われる月山神社祭典と同じですね!
今も毎年9月に行われている月山神社祭典では、
「けんだい」と言われる腰巻をして、長持を持って家々を練り歩きます。
さらに、右の写真は、笹子の隣、中直根地域の村上喜代吉さん所蔵のもの。
やはり同じです!鳥海地域には、各集落ごとに番楽獅子も伝わっており、
野宅にも獅子頭がちゃんとあるそうです。
鳥海のルーツは、やはり同じものから派生しているんだと、この写真を見ると実感できました。
また、太田文一さんは「鶴流人形手踊り舞踊」を披露してくださいました。
手ぬぐいで使った人形で行う「手踊り」です。
戦時中に太田さんが時間の合間に始めたのがきっかけで、文一さんは「創始者」!
実際に演じて見せてくれた太田文一さん。
9月の第一土曜日に行われる「月山神社祭典」の演芸会はもちろん、
敬老会や保育園などでも演じているそうです。
人形は手作りで、雨傘の骨などを使って、動かしやすいように改良しています。
天神あやとりや、貝沢からうすからみ、猿倉人形芝居といった有名な芸能はもちろん、
文一さんのように「娯楽を自ら作ってしまう」住民の資質は「芸能の里・鳥海」ならでは!
「鶴流人形手踊り舞踊」は、現在、弟子の小沼鶴叡(かくえい)さんが、
本格的に受け継いでいらっしゃいます。
お話の合間に、お母さんたちが作った南瓜のデザートや
パイナップル寒天をいただきました。
このおもてなしの心には、いつも頭が下がります。
●五階の滝
一番盛り上がったのが、この写真です。
佐藤富郎さんが、自身で撮影した滝の写真をたくさん持ってきてくれました。
「笹子に住んでいて、この滝を見ないと、笹子の住人ではない」と言われる「五階の滝」。
旦那さんに頼んで連れていってもらったと話す太田ナツさんと菅野ヨネ子さん。
「感動するよ、あの五階の滝は」
村上さんと太田さんが「田倉の滝(の写真は)ないのか?」「こっちは上の滝だ」
「“白糸の滝”があって、雨が降ると大平キャンプ場から見えるんだよ」
「丁岳登っていく時に細い滝があるっけしゃ」と、
滝の話題が尽きることはありません。
こちらも、富郎さんが撮影した写真。
丁岳は、名もなき滝が山ほどあるそうです。
「“滝があるな”ってカメラ向けただけで、何の滝かは分からないんだよ(笑)」
富郎さんが答えに迷ってる間に、村上さんたちが
「こっちは行者」「これは田倉」と解説してくれたのが面白かったですね~
五階の滝は、五段に落ちていることもあり、分かりやすいそうです。
※ただし沢歩きが必要なので、地域に詳しい方と一緒に行くことをおススメします。
また、滝のそばには、地域の結核撲滅に尽力した、岡博士の
「村人よ すこやかに 暮らせ」というメッセージが書かれた銅板が
滝の岩肌に埋め込まれています。
この他にも、たくさんの鳥海町・笹子のお話を聞かせていただきました。
笹子の若者たちが始めたという、手作りのスキー大会の新聞記事、そして「敬老会」。
昔、野宅には、笹子小学校の分校がありました。
物が足りなくて争いが絶えない時代、学校の先生が、子供たちが収穫した小豆を使い
「あずき汁」を、地域のお年寄りたちに振る舞う「敬老会」を始めたそうです。
子供たちと一緒に行うことで、争いは減っていったといいます。
この野宅の敬老会は50年近く継続してきており
敬老会に「あずき汁」を必ず出しています。
野宅の人々が誇りにしてきた「敬老会」の存在も教えていただきました。
「何かないかな~」と商店に立ち寄ったのをきっかけに、
野宅の人々が、昔から大事にしてきたものを伺うことができました。
村上広吉さん、太田文一さん、太田ナツさん、菅原ヨネ子さん、佐藤富郎さん、
地域のお宝を教えていただきありがとうございました!
今後も元気ムラは「そこに住む人々が大事にしているもの」を伝えていきたいと思います!