画像:「道踏み」と「お七日(おなのか)」

 横手市戸波地域の天ヶ台(あまがだい)山に位置する戸波神社は、子供との関係が深い神社です。戸波神社の本尊は薬師如来様で、古くから人々を病気の苦しみから救うと言われています。
 
 戸波神社で子供主体の行事が行われるようになったのは、寛文年間(1661年~1672年)にさかのぼります。山火事で社殿が焼失し、ご本尊の無事が心配されました。しかし、ご本尊にはウラツブや沢ガニ、カジカなどがびっしりと貼り付き、焼失の危険から身を挺して守ったといいます。その時、ご本尊は仮の厨子(ずし、仏像を安置する入れもの)に移されました。
 
 元禄年間(1688年~1703年)、仮の厨子から子供たちがご本尊を持ち出して縄で縛り、水たまりの中で代掻きの真似をして遊んでいるところを、集落の大人が叱りつけたところ、その大人は長い間高熱に苦しめられます。家族が不思議に思い、神おろし(巫女などに神霊を乗り移らせること)をしてもらい聞いてみると、「私は子供たちの守り神。数日前、子供たちと楽しく遊んでいたのに、その者が子供を叱りつけたので、こらしめのために熱を出させたのだ」と話したと言います。

 早速、お参りして謝罪をすると、みるみるうちに熱がひきました。このことから、ますます信仰が深くなり、毎年5月5日の本祭のほか、子供主体の「道踏み」と「お七日」の行事が行われるようになりました。

 「お七日」は12月7日に行われる行事です。当日朝、雪が積もった参道を踏みしめて道を作ることを「道踏み」と呼びます。15歳以下の男の子の役目で、大将などの役職を決めて行われます。「お七日」は、戸波神社に祀られている大黒様など20体ほどの神様それぞれに子供たちが付いて「めって(参って)けれ~」と言いながら参拝に来た方々に御神酒を振る舞います。

 昔は、参拝が終わった後に各自で持ってきたお弁当を食べながら一日の反省をし、そのまま戸波神社の薬師堂に泊まりました。お賽銭は子供たちのお小遣いになるので、ちょっと早めのお年玉に心を躍らせていたことでしょう。
 子供だけの行事ということで、自分たちで物事を決めて行動したり、年長の子供が年少の子供の面倒を見たりと、子供が成長していくきっかけにも繋がります。
 子供の頃にお七日に参加した方々は口を揃えて「一生のうちであんなに面白いことはなかった」と話します。
 
 5月5日の本祭は、氏子の皆さんが主体となって行われますが、この日、子供たちがえびす俵を担ぐ姿も見られます。戸波神社のご本尊、薬師如来様と子供たちの深い関係は、子供たちが関わる行事の多さから知ることができます。
 
平成25(2013)年6月掲載
■参考資料
『増田町史』 

【関連リンク】産地直送ブログ
横手市戸波地域に伝わる子供たちの行事「御七日」!(2013年12月掲載)

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