ふるさと秋田への応援メッセージ

加賀屋 誠一(かがや せいいち)さん

<出身町村>秋田市

 よく秋田人は、”いい振りこきで世間体を気にする”、あるいは”いったんお酒が入ると気が大きくなる”、また”消極的で保守的な性格を持つ人が多い”などどちらかというとネガティブな県民性が先行しているようである。
 しかし、私は、ポジティブな面を強調したい。
 それは、勉強熱心で実直な面である。そして,人にはことのほか優しい人が多い。

 勉強熱心さは、明治11年に始まった種苗交換会というイベントがある。秋田の人は知っている人が多いと思うが、子供の頃、祖父に連れられて行ったことがある。

 その頃の記憶は正確ではないが、確かそれぞれが丹誠を込めて作り上げた農産物が所狭しと陳列されているのが印象的であった。しかもその産物がまたそれぞれすばらしく土で育てたものとは思われないほど、見事な芸術作品とでも表現できる見事さであった。そこにはノートを片手にメモをとりながら、熱心に観察し、またときには議論をしている光景が目に焼き付いている。

 今思えば、おいしくいただいているあきたこまちを生み出した原点でもあると考えている。
 学者の端くれに在るものにとって、学問というのはこのような一貫性と継続性の下に成り立つと信じている。ひらめきというのは確かに重要であるが、それも日頃の鍛錬の蓄積から現れるものといえる。

われわれの分野で知らない人がいない秋田県出身(協和町荒川:現大仙市生)の大偉人として物部長穂という人がいる。大正・昭和の初期に東京帝国大学教授として活躍し、帝国学士院恩賜賞という当時の学者としての最高の栄誉ある賞も受けた人でもある。

先生の研究業績は、現在も教科書等に紹介され、ダム設計や耐震設計など土木工学での代表的な礎石となっている。また東大卒業の際、首席であった。これは並大抵の努力ではないといえる。
さらに文献によると秋田弁が抜けず論文にも混じってしまう程であったとされている。また当時の帝国大学教授としては珍しく学生に対して、「さん」づけで呼び、対等に接したともいわれている。

勉強熱心さと実直な面を持ち合わせ、また優しい人であったことに疑いの余地もない。

毎年、秋田からも学生を迎えるが、確かにいずれも物部先生のような一生懸命さと実直性を持ち、心暖かな若者が多いのである。
(北海道大学大学院工学研究科勤務 加賀屋誠一(秋田市出身)

加賀屋 誠一さんのプロフィール

秋田市出身。1947年生まれ。
北海道大学工学部土木工学科卒。

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