ふるさと根っこ

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蒲田七輪
  最後の職人森吉町
    工藤豊蔵さん


 昭和十五年前後の日本の伝統工芸の状況を記した柳宗悦の手仕事の日本。秋田の手仕事として、能代の秋田春慶や角館の樺細工などと並んで、阿仁の岩七厘(しちりん)が紹介されている。森吉町浦田で採れる硅藻土(けいそうど)の天然岩を、彫刻のように削って作るこの七厘。地名とスノコ穴の数から地元では浦田七輪と呼ばれている。かつて地場産業として栄えた七輪づくりも、時代の流れには勝てず廃れてしまった。今では工藤豊蔵さん(七五)が"最後の職人"として製作を続けている。



蒲田の里の七輪作り

 農業以外にはこれといった仕事がなかった浦田集落では、副業として七輪づくりが古くから行われていた。その起源は四百年前にさかのぼるともいわれる。地元で販売するほか、市が立つ比内の扇田まで背負って運び、浦田では手に入らない塩漬けの魚や干物などと交換したという。
 七輪切りと呼ばれる職人の手で細々と行われてきたが、明治の末ごろから事業化に乗り出す者も現れた。昭和に入ると会社が作られ、機械も導入されて大量生産の体制が整えられた。事業者の設備投資などに加え、材料となる岩の採掘や窯で使う薪の供給には集落全体で便宜を図り、昭和十―三十年代には県外へも製品を出荷するほどになった。しかし、ガスの普及とともに七輪は使われなくなり、産業としては成り立たなくなってしまった。
 材料の硅藻土は、珪酸質の殻をもつ微小な藻類、硅藻の死がいを多く含んだ軟らかい岩石。県内では浦田の寄延(よりのぶ)沢や鷹巣の綴子などで採れるが、

 七輪作りには浦田のものでないとうまく仕上がらなかった

と工藤さん。硅藻土をそのまま使う浦田七輪には、目に見えないほどの小さな無数の穴が空いていて、火がおこりやすく周りに熱が伝わりにくい。持っても熱くないので重宝がられた。

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七輪を作り続けて五十八年

 工藤さんが七輪づくりを始めたのは七輪づくりが盛んに行われていた昭和十一年、十七歳の時だった。三十人ぐらいいた職人のなかに弟子入りして技術を覚えた。当時は六寸角から一尺三寸角まで八種類の七輪を、一人一日八−十個作った。土木作業員よりはるかによい手間賃を稼げたものの、仕事もきつく食事をとる間も惜しんで深夜までの作業が続いたという。現在寄延沢では、地元の経営者から硅藻土の採掘と販売の権利を譲り受けた中央シリカ株式会社が操業している。製品のろ過剤は主にビールの製造などに使われている。工藤さんは、山や沢を見れば硅藻土の性質が分かるという経験を買われて、引き続きこの会社に職を得た。仕事のかたわら、工場見学者の土産用や注文があった場合に七輪を作ってきた。退職してからも材料を掘る場所を確保してもらったり、製品を引き取ってもらったりと会社の支援を得ながら七輪づくりを続けている。


天然岩を削って作る

 作業は山で岩を採ることから始まる。最高の質のものを選び、オノで一定の大きさに切り出す。仕上がりの寸法にゆとりを持たせて岩を切り出し、大まかな形に削っておく。
 これを作業小屋に運んできて形を作っていく。まず、ナタで粗削りし、底の部分に"足"を付ける。炭を入れる"懐"や"通気口"をノミで掘り、小刀でなめらかに仕上げていく。懐と通気口を仕切る"スノコ"の厚さ加減で火のおこりの良し悪しが決まるので、作業も慎重になる。使っている道具は十二、三年前にかじ屋に特別に頼んで作ってもらった。下書きをしなくても同じ形に仕上げる腕はまさに名人芸。懐の形は昔はもっと角張っていたが、この方がかっこ良いと思って掘った工藤さん独特のもの。
 形ができたら窯で焼く。八百度ぐらいで八−十時間が目安。昨年一年間製作を休んだためか、今年は窯の調子が思わしくなく、焼き上げるのに二日もかかったという。温度や時間も火や煙の様子で判断する。ふだん使うにはこのままの素焼きの方が火のおこりが良くて使いやすい。外観を飾るとともに、補強もかねて白地に黒のしっくいを塗って仕上げることもある。


消えゆく浦田七輪の灯

 工藤さん自身、今でも七輪を家で使っている。鍋物や魚を焼いたりするのに火の加減がちょうどよいという。豆を煮るとき、危なくない所に置いて、山へ行って一仕事終えてくると煮上がっている。今年六月に東京の料理店から注文があって送ったところ、

 通気口があって使いやすいし、火の加減がちょうどよかったといってくれた

と語る工藤さんもうれしそう。秋田の手仕事を追跡調査した県民芸協会の薦めで、このほど県民芸展に出品された浦田七輪だが、使ってもらいたいとの気持ちが強い。使ってみたいとの注文には、作る時の意気込みも違ってくる。
 地元の小学生などを相手に彫り方を指導することもあるが、後継者となれば、見通しは暗い。

 ただ彫って形を作るだけなら一、二年で十分だが、何個作っても同じというわけにはいかない。まして岩を切り出す重労働に耐えて、売れるかどうか分からないものに取り組む人がいるだろうか

と寂しげに語る。今年は七寸角のものを中心に百個ほど作った工藤さんも、細かい作業を行うのがつらくなってきたという。ハタハタが好物という工藤さん。まな弟子の作った七輪で焼いて味わえる日が待ち望まれる。